Diary
2007
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●パノルモ、精細の極地
2007年8月30日 (木)
先日27日、博多でコンサートをしました。その中でソルの Op.44 演奏に1826年作の「ルイス・パノルモ」を使用しました。楽器提供は FORSETHILL。極めて良い状態のパノルモで、豊かな音量とタッチに対する敏感な反応が最高の楽器です。プログラムは25日の京都と同じですが、ソルのこの晩年の傑作をこの楽器で演奏することが出来たのは、大きな喜びでした。写真はコンサート前夜、家内お手製のストラップをつけて試奏しているところです。かなり「ご機嫌!」なのがお分かりいただけると思います。優しくエレガントな音質ばかりでなく、微妙なスラーに対する反応とか、大らかな低音の響きは、作品に対するアプローチさえ変えてしまいます。
●明日のコンサート
2007年8月24日 (金)
明日の私のコンサートシリーズは「練習曲」がテーマです。「な〜んだ、綺麗な名曲とかないんだ〜」と思われている方、それは大間違い。練習曲というのは必ずしも、機械的で、無味乾燥な指の練習ばかりではありません。ギターの練習曲はむしろ逆のものが沢山あります。「先生」が「生徒の為に」に愛情を込めた贈り物、として作曲した、それはそれはとっても素晴らしい作品なのです。「じゃあ、聞いてみようか!」と思われたら、主催/マンサーナ(075-972-2834)へお電話下さい!
●CD "Guitar Passion"
2007年8月22日 (水)
夕方家族と夕食食べに出かけると凄まじい夕立。雨が少なかったこの頃だったので、ちょっとは良かったかもしれないけれど、集中的に降ったので被害が心配です。帰りにまだ遠くの空でカミナリが派手になっていました。ところでつい先日こんなCDを買いました(写真)。EMIからでている輸入版で、二枚組でなんと、¥1418。驚くのはまだ早い! 演奏しているのは、セゴビア、A.ディアス、O.ギリア、A.ラゴヤ、A.ロメロ、M.バルエコ、E.フィスク etc....とにかく珍しい演奏が多く、私も初めて聞く演奏が沢山あります。例えば、ギリア氏の「タランテラ」や「アルハンブラ」は初めて。ディアスも今ではなかなか手に入りませんから貴重です。いわゆるオムニバスCDでとにかく秋祭りの夜店でもここまで色んなものは集まらないだろうというくらい、色々な曲、色々な演奏家が並んでいますが、なんだかとってもいい! とっても懐かしい「ギターの音」を楽しんでいます。
●ルイス・パノルモ(1826年)
2007年8月19日 (日)
19世紀は・・・、特に世紀前半はギターにとって空前の繁栄を誇った時代でした。演奏の技術が現代とは甚だしく違ったであろうことは説明の必要がないだろうし、それに伴って楽器の持つ資質も当然違うものでした。それは当時の人達が求めていた「サウンド」と私達が求め続けているそれとが違うからなのです。19世紀のギター音楽を現在の私達の持つ経験から判断すると決定的な過ちを犯してしまう危険性が有ります。かつてオランダの古楽開拓者達、例えばF.ブリュッヘンやG.レオンハルトに代表されるような音楽家達が、当時のオリジナル楽器に真摯に触れることによって、そして当時の音楽家達によって残された数々の言葉によって、音楽の姿を探り当てていったように、私達もこれらの楽器に同様に接することによって、19世紀の宝の山に初めて入り込めるのではないかと思うのです。来週再びその機会に恵まれることとなりました。27日、博多のフォレストヒルで行われるサロンコンサートでは1826年製のルイス・パノルモでソルの「作品44」を演奏いたします。
●整理
2007年8月14日 (火)
整理をするためには時間が要るものです。周到な準備をして行った整理は後々も崩れることが少なく、整頓が長持ちします。その場しのぎの整理は、永くもちません。本棚の整理などしていて、最後の一冊を棚に収めたときは気分が軽くなります。生徒の成長も「整理」と似たところがあります。なかなか上手くならないなと様子を見ていると、学んだことを取捨選択して身につけられるように整理に手間取っている、と言う場合があります。そういう生徒は行く末、大きく成長してゆきます。器用であることや、すぐに上手になるということは、決して悪い要素ではありませんが、同時にギターへの情熱も簡単に他へ移ったり、学んだことをすぐに忘れてしまうという危険性も孕んでいます。
私の作曲作品リストを整理し更新しました。私の作品はどれも不器用で、さらさらと簡単に書けたものは殆どありません。ひとつひとつに沢山の想い出があります。楽譜を読み返すとその時考えてきたことが思いだされ、懐かしかったり、気恥ずかしかったりします。私自身もまだまだ作曲は続けていきたいと思いますし、作品はより多くの方々に永く演奏されるものでありたいと願っています。
●山口ギターコンクール
2007年8月13日 (月)
昨日「第35回山口ギターコンクール」が下関市で開催されました。このコンクールは35年の歴史を持ち、初級、中級、上級などの他に、シニア、重奏、合奏、といったさまざまな部門を開設して参加者への門戸を広げていることが特徴です。私のところで勉強する三名も挑戦しました。上級の部では松崎祐典君が1位、中級の部では渡部友美さんが銀賞、重奏部門では藤瀬明子さんと渡部友美さんが金賞をいただいたそうです。日頃の勉強の成果が、このような形で沢山の方々に評価されることは、彼らにとって大変な勇気に繋がります。またこの日に向けて普段とは少し違った勉強もしてきましたから、掛替えのない経験になったことと思います。主催者のサイトにはすでにコンクールの結果や表彰式の様子の写真が公開されていますので、ご覧下さい。
●作曲
2007年8月11日 (土)
作曲をしているときは無我夢中でも、曲ができ上がって時間が経てばその時のことは案外忘れているものです。曲を書いている間の気分とか感情とかは、ある種の記憶とか、どちらかというと思いでのように残っているのですが、思考のプロセスみたいなものは楽譜などを見て、意識しなければ思いだすことは余りありません。曲を書き始めるまで、構想を練るのに時間がかかります。最初の音を書くまでに、そしてどんな曲にするのかが決まるまでに、自分自身が一体何を考えているのか・・・、ということをふと考えてみました。 今いくつかの曲を同時進行で作曲しているので、初めてそのことに気付きました。私の場合は「いつ、誰が、どこで」演奏するかと言うことが99%決まっている曲ばかりです。ですから私の頭の中には、その人達がステージの上で生き生きと演奏している、そして演奏が終ったときに演奏者の顔に笑みが浮かび、聴衆も盛大な拍手を送っている・・・、そんな情景を思い浮かべながら曲を書いている、ということに気付きました。
●稲川淳二は怖くない
2007年8月9日 (木)
昼食を家族と一緒にとりながらTVをつけると、ある有名なトーク番組がやっていて、司会が小堺一機、ゲストに堺正章、稲川淳二、そして若い女性(名前忘れました)。稲川淳二という人はいつの頃からか、夏になるとTVに出てきて怖い話をする人、ということの様です。前はたしか俳優さんだったと思うのですが。ところがこの人はこういう番組でも、誰が何を言っても、それをすぐに自分の怪談噺に結びつけて、ちょっと辟易。しかも僕はこの人の怪談噺、というかお話、あるいはその語り口は、ちっとも上手いとは思わない。「タ行」の滑舌が悪く、早口で、声もガサガサしているから、何をしゃべっているのか良く聞き取れない。しかも語りのテンポやリズムが一本調子で抑揚がないから飽きてくる。当然ストーリー全体の構成感や表現が伝わってこない。聞き入るということは、僕の場合全くないのです。「怖い話は嫌いだ!」というもう一人のゲスト、堺正章が自分の体験したお母様の葬式の話をちょっと披露したのだけれど、さすがに希代のエンターテイナー、そちらの方がはるかに「怪談」になっていて、怖いし、何よりも聴く者の耳を惹き付ける。こういう違いは音楽でも一緒。どうやって聞かせるかということが、結局は芸術なんですね。
稲川さんには申し訳ないけど、稲川さんの話より僕はこの写真が怖いです。これは何かというと、我が家のもう一匹の猫「ヨモギ」が昼寝をしているときの写真。裏返って爆睡しているので「白目」むいてます。ほとんど「死体」、怖いです!
●練習曲集
2007年8月6日 (月)
 「練習曲」・・・、という言葉は何か楽器を勉強する人にはどこか「冷酷」で「機械的」、そして「嫌な」思いでのある言葉、曲なのかもしれません。ショパンやドビュッシーのピアノのための練習曲のように芸術的価値の極めてたかいものもありますが、ギターの練習曲においても、決して無機的なな練習のみを意図したものばかりではなく、むしろ普通のレパートリーとして「名曲」とさえ言えるものが沢山あります。 練習曲は大きくふたつに分けることが出来ます。ひとつは「音型の反復などにより技術の習得を目的としたもの」、そしてもうひとつは「音楽理解のための学習教材」です。勿論、これら両者を兼ね備えた、あるいは2つの目的を持った練習曲も存在しますが、それは当然学習者に多くの課題を課することになります。練習曲がこう言った状況の中から生まれながら、私達にとっていつまでも重要であり、そして愛されているというのは、すなわち作曲者自身の楽器や生徒に対する愛情の現れではないかと思うのです。(・・・つづく)
●礎いしずえ
2007年8月4日 (土)
今日は生徒達と「勉強会」でした。5人の生徒が弾きました。ひとつの作品を集中して弾ききるというのは難しいものです。生徒達には音楽や技術の問題もそうですが、自分自身の精神をコントロールするという課題もそろそろ見えてきたようです。終ってからは会場(八幡市文化センター)からすぐ近くにある「礎 いしずえ」というお店で反省会・打ち上げ。八幡にはなかなかこういう時の手ごろなお店が無かったのですが、6月にオープン。とっても綺麗なお店で、カウンターとテーブル席、さらには板の間の広い部屋もあって便利です。お酒や焼酎も豊富に置いてあり、メニューも今回は若者仕様で対応して下さるという親切さ。土曜ということもあって店内はお客様で一杯でした。これから八幡の人気スポットになるでしょう。(礎 いしずえ 075-983-3637)
●袋も好きです
2007年8月1日 (水)
「まめ」は袋も好きです。それから箱も好きです。自分が入れるような大きさではないのに強引に入るときもあります。今日宅急便で荷物がとどきました。仕事の楽譜とCDでした。早速開封して楽譜を読んでいるとガサガサと音がして、振り返ってみると「まめ」がその荷物の入っていた空き袋におさまって、ご満悦です。そう言えば私も子供の頃にはよく、押し入れとか、行李とか、空き地の洞穴とか、狭いところに入って遊んだものでした。やっぱり「まめ」はまだ子供なのかもしれません。

from Nov. 19th 2002
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