「練習曲」・・・、という言葉は何か楽器を勉強する人にはどこか「冷酷」で「機械的」、そして「嫌な」思いでのある言葉、曲なのかもしれません。ショパンやドビュッシーのピアノのための練習曲のように芸術的価値の極めてたかいものもありますが、ギターの練習曲においても、決して無機的なな練習のみを意図したものばかりではなく、むしろ普通のレパートリーとして「名曲」とさえ言えるものが沢山あります。
練習曲は大きくふたつに分けることが出来ます。ひとつは「音型の反復などにより技術の習得を目的としたもの」、そしてもうひとつは「音楽理解のための学習教材」です。勿論、これら両者を兼ね備えた、あるいは2つの目的を持った練習曲も存在しますが、それは当然学習者に多くの課題を課することになります。練習曲がこう言った状況の中から生まれながら、私達にとっていつまでも重要であり、そして愛されているというのは、すなわち作曲者自身の楽器や生徒に対する愛情の現れではないかと思うのです。
イタリア生まれの作曲家・ギタリスト、マテオ・カルカッシ Matteo Carcassi (1792-1853)
は「カルカッシギター教則本」で知られているために、教育者として認知されていますが、同時に優れたコンサートプレーヤーであったことはそのほかの書き残された作品の内容でも推し測ることができます。「教則本」はアマチュアの愛好家を先ず対象にしたものであると考えられますが、Op.60の練習曲集は更にそれを一歩深めたものです。技術的課題と音楽的内容が見事に合致した作品集です。
カタロニア生まれのギタリスト・作曲家、フェルナンド・ソル Fernando Sor (1778-1839)は改めて説明するまでもない、ギターのレパートリーにとっては大きな存在です。彼の生涯をかけた作品群のなかでも1831年に作曲されたこの作品集は、その前年に上梓された「教則本」に匹敵する内容と意味を持っています。ソルはこれらわずか24曲を通じて、個々の技術よりも、ギターという楽器の可能性、奏法が音楽と如何に関わっていくかということを、まるで遺言のごとく書き綴っています。
20世紀のギター音楽に革命をもたらしたと言っても過言ではないキューバのギタリスト・作曲家、レオ・ブローウェル
Leo Brouwer は「簡素な練習曲集 Estudios Sencillos」のタイトルのもと、今日まで30曲を世に送りだしています。特に最初に書かれた「第1番~第10番(第1巻、第2巻)」はそのタイトルを象徴するように、まさに簡潔な書法で音楽と技術への要求を見事に語り尽くしています。今回は第3巻、第4巻の作品も少し含めて演奏し、これらの練習曲の真価を問い直したいと思っています。
藤井眞吾:2007年8月7日 |