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《はじまりの音楽》
by Shingo Fujii
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10.春が来た

高野辰之/作詞
岡野貞一/作曲

春が来た 春が来た どこに来た
山に来た 里に来た 野にも来た

花がさく 花がさく どこにさく
山にさく 里にさく 野にもさく

鳥がなく 鳥がなく どこでなく
山でなく 里でなく 野でもなく

 これも名コンビ、高野辰之(作詞)/岡野貞一(作曲)による作品です。春ののどかな雰囲気を伴奏の柔らかなスラーで表現して下さい。

 この作品を編曲するにあたって私が一番私を悩ませたのはメロディーのアーティキュレーションの問題です。すなわち・・・

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 言葉としては当然「A」の「春(はる)」がひとつの音節になるのですが、音としてはこの二つの音は同じ和音(主和音、A)に属し、このようなスラーがかかると違和感が少なからずあります。それでは「B」は間違いなのでしょうか? 言葉としては「る」と「が」が繋がることはあり得ないのですが、今ここで私が気にかかることは西欧音楽式のアーティキュレーションが必ずしも日本語では絶対ではないのではないか、ということです。日本語は英語やフランス語に比べると、はるかにひとつひとつの音が独立して発音される傾向が強く、もしもこの旋律の音価に忠実にしたがって、さらに音のつながりも「A」のように読んでみると、まるで日本滞在半年くらいの外国人の喋る「ハ~ルガ、キタ」みたいに聞こえてしまいます。実際の日本語では「る」と「が」は異なる語に属しながらも、読むときには連続して発音されても何らおかしくはないのではないでしょうか? そうするとギターで演奏する場合のアーティキュレーションはどうなるのでしょうか? 私は最初の三つの音が全ての音がひとつのグループになっていること、あるいは最初の三つの音がそれぞれ単独に発音された結果、言葉の意味からそれら三つがひとつのグループに聞こえる、と言う弾き方が良いのではないかと思います。

 ややこしい話になりましたが、ですから、「A」のやりかたでも「B」のやりかたでも、いずれもこのスラーは和声的な意味を持たないので、極端に音節の文節を行うのではなければ、いずれの弾き方も有り得るのではないかと考えています。皆さんで色々にためしてみて下さい。

 1ページ目の最後の段から下属調に転調します。ここの2小節目、1st guitar の「ソ-ファ#」、あるいは最後の小節「ミ-レ」につけられたスラーは一転して、はっきりと「アクセントと長く」から「弱く、短く」というヨーロッパの音楽、バロックや、クラシック音楽の流儀にしたがってください。8小節間でいささか強引に元の調(イ長調)に戻ります。ここは劇的な表現を、大袈裟なくらいにしたほうが面白いでしょう。

2 右のページ最後の二段で「P subito」を指示しましたが、これは「エコー」の効果です。弱くすると同時に「sul ponticello (駒寄りで弾く)」をするとより一層その効果が得られます。1st guitar の二分音符や全音符による和音ははっきりと大きな音で、そして最後は任意に繰り返しながら長いディミヌエンドをして下さい。