第2節「指揮者のいないオーケストラなんて…」
《ギターは小さなオーケストラだ》と彼の大作曲家、L.v.ベートーベンは宣ったそうです。…本当かな? と私は思います。もしそうだとすれば、きっとベートーベンはイタリアからやってきたギターの名手、M.ジュリアーニの演奏を聴いてそう思ったのかもしれません。
スペイン留学時代に、ある有名な先生のマスタークラスを受講しました。とても論理的なレッスンをする先生でした。「ここのメロディーはフルートのように、そしてこの中声部はヴィオラだ、そして低音はチェロがやってくる!」こんなことをよく言いましたが、レッスンでこういう比喩は私も含めて、色々な先生がよく使う表現です。しかし、若かった私と私の友人は「一体いつになったらギターが出てくるんだろうね?」と皮肉を言ったものです。なぜならその先生のギターの音はお世辞にも奇麗だと思えない音だったからです。
楽曲の仕組み、特に声部の仕組みや、歌い方をオーケストラの楽器に例えたり、あるいはオーケストラそのものに置き換えて考えたり、説明することは時に有効です。しかし、それはあくまでも比喩であって、わたしはいつもギター本来の音色が聞きたいと思っています。ですからオーケストラを聴いていて、下手糞なフルートに遭遇すると「ほら、ギターのように軽やかに吹いてごらんよ」とか、ちっとも歌わないチェロを聞くと「ほら、ギターの5弦のように弾いてごらんよ」と言いたくなります。
私は《ギターが小さなオーケストラだ》と感じることより、《ギタリストはオーケストラの指揮者だ》と感じることのほうが多いです。確かにギターの音色は多彩で、そういう意味ではオーケストラのようですが、それを操れるかどうかは演奏者次第なのです。音色のことだけでなく、作品に書き込められた音楽そのものの多彩さを表現できるかどうかも、演奏者にかかっているのです。
私は時々、プロを目指している若者には指揮法の勉強を勧めます。これは音楽を客観的にとらえるためにとても勉強になるからです。「第4章 音を読む」から「第6章 記憶と理解」までは「指揮者のように作品にアプローチする基礎練習」だったのです。
次回はその「オーケストラの裏方」とも言うべき左手の仕事についてもう一度勉強しましょう。 |