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Guitar Study

Nocturnal by B.Britten by Shingo Fujii

 
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来れ深き眠りよ Come Heavy Sleep

 以上ごく簡単にこの曲の構造や演奏上の注意を書いてきました。音楽作品の評価というのはいたって自由です。また誰かが「これは傑作だ」と言ったからといって、聞き手がそれに同意できなければ意味がありません。私はこの作品が素晴らしい独創に満ち溢れたギターの為の傑作であるばかりでなく、作曲者ブリテンにとっても優れた代表作のひとつであるだろうと思っています。同様なアイデアに基づいて、ダウランド「ラクリメ」を使った作品がトリオの為に書かれていますが、音楽の濃密さは「ノクターナル」の方がはるかにしのいでいると思います。

 二三年前にヨーロッパで人気絶頂、評価も最高のある若い演奏家の演奏会を聞きに行きました。噂に違わず素晴らしい演奏でした。ただ演奏会全体を通じて何か空虚なものを私は感じていました。終演後話をする機会がありました。共通した友達などがいたので、あれやこれやと話しているうちに彼がその日演奏したA.ホセの「ソナタ」のことに話題が及びました。彼の言葉を待つまでもなく、わたしもあの作品は素晴らしいと思うし、ギターの歴史の上でも重要な作品だろうと思います。しかしだからと言って、ホセのソナタがブリテンのこの変奏曲以上にすぐれていて重要な作品だとは決して思いません。それはどちらが良いか悪いかという考えたり議論すること自体がばかげたことなのですが、そのギタリスと曰く「ブリテンのノクターナルはよくよく見ると、主題から変奏の作り方が単純で幼稚で、解ってみれば取るに足らない作曲作品さ・・・」などという考え自体が、幼稚な考えだろうと思います。確かにブリテンが行った主題からの素材の抽出は極めて単純なことではありましたが、それによって構造された音楽がいかに大きなものであるか、そしてそれ程までに単純な手法で音楽を構築した音楽家がそれまでにいただろうか、という疑問もまたそれに対する答えもその若者は持っていなかったのです。もしもこのブリテンの手法を単純で幼稚だと断じるのなら、おおよそ音楽などというものはほとんどが単純で幼稚なものでしょう。少年が「水は水素原子と酸素原子でできてるんだ、ナンダ単純じゃないか」と言う感動の方がまだ上等でしょう。

 彼の演奏会が素晴らしい演奏技術で満たされていながら、音楽的には何か空虚で、私にとってはまさに「取るに足らない音楽会」と感じられたのは、まさにその本人がブリテンのこの音楽を「取るに足らない」と感じている、その感性の稚拙さに起因するものだと、あとになって思ったのでした。

 

Come heavy sleep, the image of true death;
and close up these my weary weeping eies:
Whose spring of tears doth stop my vitall breath,
and tears my hart with sorrows sign swoln cries:
Com and possess my tired thoughts, worne soule,
That living dies, till thou on me be stoule.

Come shadow of my end, and shape of rest,
Allied to death, child to blakefact night:
Come thou and charm these rebels in my breast,
Whose waking fancies doe my mind affright.
O come sweet sleepe; come, or I die ever:
Come ere my last sleep comes, or come never.

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