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《夜想曲 ~鳥の歌による》
Nocturno sobre “El Cant dels Ocells”
by Shingo Fujii

Nocturno sobre "El Cant dels Ocells" para 3 guitarras
~「夜想曲~鳥の歌による」ギター三重奏のための

vfd4.遠くに聞こえる歌

富川君、大島君、栗田君へ

 ちょうどこの楽章を書いている途中で、僕は皆さんと横浜でお会いし、そして出来ているところまでの「音」を聞かせて頂いたのでした。あれは僕にとって貴重な体験でした。作品を書いているプロセスで、演奏者とコンタクトを持つことは時としてきわめて重要です。実は今回僕は富川君に(・・・今回の演奏者の中で知己のあるのは富川君だけでしたから)何度か、大島君と栗田君がどんな演奏家(人)なのかを何度かメールで尋ねていました。それは僕にとってはきわめて重要なことだったからです。今の僕には不特定の演奏家に向かって作品を書くと言うことが、ひどく不自然でなおかつ難しいことに思えているからです。
 この変奏はここまでの三つと違って、古典的なというか、オーソドックスな変奏、すなわち原曲の見える変奏になっています。旋律のラインは常に 2nd guitar(富川)にありますが、繰り返しでは旋律音形の変奏をしています。それはルネサンスの時代の手法に似ているはずです。しかしこの変奏で最も重要なことは、最初に聞かれる 1st guitar(栗田)の2小節の装飾音を伴った下降音型です。この装飾音と音形が原曲のどこから引用されたものかはすぐにおわかりになると思います。これは執拗に何度も何度も繰り返されます。僕にはこの装飾音はまるで、切なく、遠くに向かって、声を絞り出す、小さな鳥の鳴き声のように聞こえます。このはじまり方は、これを聞き手に「美しい」と感じさせなければいけない、という重要なモチーフです。
 もう一つ大事なことは旋律に対する伴奏です。伴奏はほとんど2種類の重要な和音が使われます。主和音(短和音)と六度の和音(長和音)がそれです。これらは「6/8」という拍子の中で、何度も何度も「三拍子と二拍子」を行き来します。僕はこの楽章は「きわめて正確なテンポとリズム」で弾かれるべきだと思います。こういった音楽は旋律の性格故に、ともすると人工的なrubatoを加えたり、大仰な表情を加えたり、といった悲惨な目にあわされますが、まさか皆さんはそんなことはしないでください。時として聴衆の多くは、そう言った下品な演奏を「音楽的」だと思ったり、「奏者のすぐれたアイデア」だと思ったり、間違った理解をしてしまいます。それは聴衆にとっても不幸なことだと僕は思うのですが、私たち演奏家は何が作品のよりよい姿であるのかを、実際の演奏で示すしか主張の機会は与えられていません。
 旋律を演奏する富川君には、そこのところの上質な「品性」や「感性」を求めたいと思います。これは目標の難しい課題かもしれません。かと言って、カチカチと硬い表現も興ざめです。
 おそらく演奏者は、あちこちで出てくる「連符」に当惑するかもしれません。これはいずれも「算術的な連符」ではなく、きわめて柔軟でやわらかな音の流れととらえてください。
 きわめて冷徹に、きわめて機械的で正確であればあるほど、その狭間から人間的なしなやかで限りない美しさが感じられるという瞬間があります。この楽章では、そう言う瞬間を、僕は観たいと思っています。

藤井眞吾 (5/1)


 
 
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