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“カルカッシのギター教則本について”

sankaku
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カルカッシの
ギター教則本
について
1. はじめに
2. ハ長調
3. ト長調
4. 二長調
5. イ長調
6. ホ長調
7. ヘ長調
8. イ短調
9. ホ短調
10. ニ短調
11. 最後に
更新/ 2023年3月1日
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カルカッシギター教則本, Op.59

はじめに

(本稿は2022年の11月から12月にかけて、Twitter に連続投稿したものです)

 19世紀中期にパリで活躍したイタリア出身のギタリスト、マテオ・カルカッシ(Matteo Carcassi)が生前に「Methode complete pour la guitare, Op.59」というタイトルで著したいわゆる「ギター教則本」は、多くの国で、特に我が国では、初めてギターを手にした人の導きの書として,今でも愛用されています。

  カルカッシが活躍した時代、国、また当時の音楽状況と現在では、様々な事が異なります。3部からなり、さらに全体の冒頭には楽典のようなことなど、ギターを演奏するために必要な説明がくどいほどに語られています。カルカッシはイタリアのフィレンツェの生まれ(1796 - 1853)、1815年からはその活動をパリに移します。まだスペインの名手、F.ソルが華やかなかつ移動をしていた頃と思われます。いわゆる「カルカッシギター教則本」は特に愛好家が一人でも、つまり独学でもギターの奏法や音楽を習得できるように作られた本であろうと思います。その内容は1830年に出版されたソルのものとは内容が大きく違います。

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 60年近く前、私がギターを独学で始めた時もこの本が行く先を照らす灯火のひとつでした。しかしその当時の印象を申し上げると、教則本の勉強はとても退屈で、さして興奮することもなく、すぐにレコードやコンサートでプロの演奏家が弾いていた曲に手を出すという毎日でした。それでも第1部までは勉強したのだろうと思います。なぜならそこにある曲は今でも覚えているからです。幸か不幸か、この教本は後世のギタリストが様々に改訂/加筆したものが多く出版され、わが国でも状況は変わりません。そしてそこに見られる編者による「解説」の類はほとんど無視しても構わないと言えるものばかりです。

 私が使っていたのは有名な「溝カル」ではなく、京本輔矩先生が編集されたものでした。幸いにも最初の「ハ長調」のセクションに、ソルの「Op.44-3 Andantino」が含まれていたことです。カルカッシ教則本の勉強を始めたばかりの初心者だった私にとって、突然現れたソルの「Andantino」は衝撃的でした。突然「魅惑の世界」「夢の世界」に入ったような感覚、例えていうなら学校の図書館で児童文学全集を読み始めたら、第3巻目くらいでいきなり大人向けの「恋愛の手引き」というページに遭遇したような気分でした。大人向けの「恋愛の手引き」というページに遭遇したような気分でした。なぜそういう感覚を覚えたのか、同じハ長調なのになぜそんな感じがするのか当時は説明もつきませんでした。そしてそれがソルの「作品44」という晩年の作品に含まれることも長い間知りませんでした。京本先生の「カルカッシギター教則本」は有名な「溝カル(この本の存在は大学生になって初めて知りました)」より、かなり薄く、余計な解説もなかったので、今になってみるとラッキーだったと思います。

 京本先生の「カルカッシギター教則本」がなぜ分厚い本でなかったかというと(これものちになって知ったことなのですが)、カルカッシの原本は三部構成なのですが、そのうちの「第一部」しか載っていなかったのです。それも今になって思うとラッキーでした。

 この教則本のことについてなぜツイートしているかというと、私は最近まで生徒のレッスンにこの本は使ったことがなかったし、そのような考えも持ったことがなかったのですが、数年前から二人だけこの本を使ってレッスンをせざるを得なくなり、改めて色々気づいたことをお話ししたく、ツイートすることにしました。この本の長所と、またその反対の側面。この本の価値と、この本から得られるものと、得られないもの、それについてよく考える必要があると思ったからです。

 多くの場合この教本と出会うのは「初心者であるから」「ギターを始めて弾くから」などの場合だろうと。最初の楽典のような部分はどれくらいの人が読むでしょう? ほとんど学校の教科書にも書いてあるような内容なので、読む人は少ないと思います。