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David Russell デイビッド・ラッセルと私
2004年10月2日

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 2004年秋、David russell デイビッド・ラッセル氏が6度目の来日を致します。全国4箇所でのリサイタルと3回のマスタークラスを開講します。大阪でのリサイタルが皮切りとなりますからもうあと12日で、4年ぶりのデイビッドの演奏を聴くことが出来るわけです。今回私は大阪(8日)と琵琶湖リサイタルシリーズ(13日)の2回のリサイタルを聴き、大阪、広島でのマスタークラスの通訳をする予定です。これまでデイビッドのこと、あるいは私が彼に学んだこと、などをお話することはあまりありませんでしたので、この機会に少し書いてみることにしました。

 先ず私が最初に初めて彼に会ったのは1985年、Vigo の彼の自宅でのことでした。既にDavid とは互いに良く知りあう実弟(藤井敬吾)の紹介でレッスンを受けることとなっていました。折しもサンティアゴ・デ・コンポステラの国際講習会の中で開催されたコンクールでラミレス賞を獲得した直後の弟と同地で合流し、ポルトガル寄りへ少し移動したところにある、同じガリシア地方の Vigo ヴィーゴと言う町に彼は住んでいました。初めて彼の自宅を訪れる私たちに彼が自作した木製のテーブルや部屋のひとつひとつを案内して見せてくれました。やがてデイビッドの友人も遊びに来て、いつともなくコーヒーを飲みながらギターを弾き始めました。ソファに腰かけながらおもむろにギターを取り上げたデイビッドは突然コストのポロネーズを弾き始めたのです。奇跡のような演奏でした。かつて聴いたことのようなふくよかなギターの音、部屋いっぱいに広がる音楽、そしてなによりも演奏が信じられないほどに完璧なこと・・・。感動を通り越した奇跡のような瞬間でした。
 翌日からレッスンが始まりました。例えば午前中は私、朝の9時くらいから1時くらいまで続き、昼食を食べに一緒に出かけ、いったんホテルに帰ってシエスタ(昼寝)・・・ 、そして再び夕方5時くらいから夜の9時くらいまで、今度は弟が。夜はまたどこかで食事を。明くる日は午前中が弟で、午後は私、と言う具合に一週間が続いたのです。一日中ギターをデイビッドと学び、弟が受けているレッスンも勿論聴いているわけですから、一日に8時間は勉強して、それが一週間続いたわけですから50時間以上の勉強ができたわけです。今考えてみても「驚異的」なレッスンでした。この時私がレッスンを受けたのは、バッハのチェロ組曲6番、ソルの魔笛の変奏曲 Op.9、ブローウェルの練習曲、ポンセのソナチネ、などでした。殊更テクニックのことを説明するということはあまりありませんでしたが、右手の「a」 の指のタッチはまさに手取り足取り教えてくれました。指がどんな角度で弦にあたるか、どういう方向に力を加えるのか、など具体的で分かりやすい説明でした。

 この時の印象は「非常に諦めない人」だな、ということです。私がうまく出来ないことがあれば、それが一体何故なのかを考え、そしてそれを解決するためにあらゆる手だてを試してみるのです。また、たった1小節のアルペジオがどう弾かれるべきかを、何度も何度も様々な角度から考えるのでした。そして彼の提案を私が出来るようになると、すぐに別の提案をするという意味でも「果てのない」人でした。そういう意味ではその時の私の師匠、J.L.ゴンザレスとも共通していました。そしてハードな一週間のレッスンを終えて私の中に残った最大のものは、一種の「解放感」の様なものでした。それは現在の私につながる非常に大きな解放感でした。1985年当時私は音楽の点でも、そしてそれ以上にテクニックの点でも大きな壁にぶつかっていました。目の当たりにした彼の存在は強烈でありながら、この上なく身近で生々しい存在となり、以降の私にとってひとつの指針となったといえます。

(2004年10月2日 )
つづく

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