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Lesson レッスン

Lesson レッスン
~若者たちの環境

 私が教える人達の年齢の幅は相当広いです。10歳前後から60歳、あるいは70歳代の方もいらっしゃいます。でも、いわゆる「ギター教室」をやった場合にはそれは、ごく当たり前のことなのかもしれません。私は9歳~10歳の頃から独学でギターをやって、やっと先生について習うことが出来たのは大学生になってからでしたから、そういう「ギター教室」の経験がありません。ですから、私には特異な状況に今でも思えてしまいます。「発表会」と言うものも、あまり経験したことがありませんから、自宅で教えている生徒達のためにも、やっと去年と今年二回の発表会をやっただけです。それまで「勉強」の目的で小さな演奏会のようなものを準備してやったことはあります。
 私がギターを弾き始めた1960年代と今では、勉強する人達の環境が相当に変わったと思います。ギターのコンサートは、東京や大阪などの都会では毎日のようにどこかで開催されていますし、有名な演奏家の録音は簡単にどこでも手に入ります。私が子供の頃にはA.Segovia の LP やJ.Bream、N.Yepes の LPレコードをたまに買って聞くくらいでした。楽譜だって手に入れるのは大変でした。でもそのかわり、その頃買って聞いたレコードの演奏はとても印象に残りましたし、それをプレーヤーにおいて掛ける時間は生の演奏会に行くのと同じくらいの意味があったように思います。楽譜は小遣いを貯めて買うわけですから「宝物」と同じで、私はその宝物のために一体どれほどの資金を投入したのかしれません。今はCDを買っても、楽譜を買っても「資料」としてで、「聞かず」「開かず」「弾かず」というCDや楽譜が部屋のどこかに雑然と詰まれているのは、全く嘆かわしいことです。キャラメル包装すら解いていないCDは一体何枚あるのだろうか・・・? CDをじっくり聞く時間がないという事情もあるのですが。
 私の生徒の「若い世代」の多くは大学生です。大学のギター部とかマンドリンクラブの学生です。私自身も京都大学ギター部に四年間身を置き、部長も務めたりしたので、何となく彼らに親近感を覚えます。ただそれはいつもいい感情ではなく、果たしえなかった青春時代の否定的な思い出を思いださせる存在であったりもします。彼らの殆どは勿論プロになるわけでもなく、学生時代の思い出として、サークル活動のひとつとしてギターを弾いているに過ぎません。しかし中にはそんなことにはお構いなく、とっても熱心にギターを勉強する人もいますし、「ああこんな人がプロになってくれたら良いのにな~」なんて思わせられる才能も少なくありません。こういう若者たちとのレッスンの時間は、本当に楽しく、家でのレッスンもいつも長くなってしまいます。
 大学生よりももっと若い人達、高校生や中学生、そして小学生のレッスンは更に楽しいのです。余計な先入観や知識もないし、貪欲ですし、私の言うことや、弾いて見せたことへの関心はとても強く、いきおいどんどん伸びていきます。
 今、彼らを取り巻く環境は情報に溢れていますが、では彼らの全てがそれらの情報に敏感であったり、またそういう情報を積極的に吸収しているかというと決してそうではありません。むしろ鈍感になっているという印象を持っています。それはきっと過剰な情報量のために、情報の「質」に対する感性が鈍磨しているのではないかと危惧しています。
 音楽は決して「感性」だけの世界ではありません。新しい音楽も古い音楽も、いつも新しく新鮮である芸術との邂逅です。それらの多くは知識や情報を通じて発見されます。こう言ったことにいつも貪欲であることは大事ですし、また教えるものとして、私はいつも教え子達に、そのことの重要性を語り、そして価値ある情報を提供しようと務めています。