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Guitar Study

《テンポ Tempo by Shingo Fujii

コラム
Lesson レッスン
 
1.教える者として
 
更新/2008年11月30日
 
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Lesson レッスン
~教える者として

 私は京都の自宅で何人かの生徒を教えています。若いときには、自分自身に余裕がなくて、「レッスン」はあまり好きではなかったのですが、今はとても楽しい時間になっています。私自身の日々の学習が、現在の生徒達の成長に直結しているからです。私はどんな生徒にも、テクニックの基礎練習の課題を、どっさりだします。最初から、そして、いつまでも、出します。なぜなら私自身が未だに基礎練習は不可欠で、そこで見つけた新しいことは、いつも生徒と共有したいからです。こういう練習きちんとやる生徒もいれば、もちろん大嫌いな生徒もいます。それぞれのペースでやっています。プロになるわけではないので、その辺のことはあまり厳しすぎてもいけないと思っています。
 もう一つは練習する曲も課題としてはっきりと与えます。どっさりと与えます。それらを全て勉強するようにさせています。中にはたまに「アストゥリアス」とか「魔笛」なんかを持ってきて、「音は摂ったんですが、上手く弾けません」なんてことを言う輩がいるのですが、上手く説得して無駄な時間を使わないようにします。つまり無理な曲は、しばらくの間諦めて、私が与えた課題曲をしっかり勉強するようにさせます。それから、その 「音は摂ったんですが」という日本語が良くわからなくて、余り耳を貸さないようにしています。今でも意味がわかりません。音は楽譜にちゃんと書いてあるから、摂る必要なんかないと思うのですが・・・。
 生徒の成長にとって妨げとなる要因がいくつかあります。
 先ずその第一は、先生が正しい指導をしていないということです。「正しい指導」とは何かというと「正しい演奏技術」と「音楽を正しく教える」ということです。それを実行するために、先生は絶え間ない努力をしなければいけませんし、また先生を選ぶ生徒は、果たしてこの人は正しく教えてくれるのか、と真剣に考えた方がいい場合もあるだろうと思います。
 第二の要因は、生徒の興味を殺(そ)がない、ということです。どんなに良い指導をしていても、生徒本人がレッスンにやる気を起こさなくなったり、ギターに興味を失ったのでは元も子もありません。しかしこれは実際には難しくて、先の例のように、音階もアルペジオも弾けない、スラーも練習しない人が「アストゥリアス」や「魔笛」、「アルハンブラの思い出」を弾けるようになるということは絶対あり得ないのですが、基礎練習や練習曲をやらずとも、何十年か頑張ればこう言った名曲や難曲がある日弾けるようになるんだと信じ込んでいる人には、いくら説得しても無理なことです。もしかしたらこういう人にはそういう夢を追わせてやるのが「夢を殺がない」事になるかもしれないのですが、私にはそれは出来ません。
 実は自宅で教える生徒以外にも生徒がいます。講習会や各地でのマスタークラスなども含めれば、家で教える何倍もの生徒を教えていることになります。福岡のフォレストヒルミュージックアカデミーの生徒達は、レッスンは不定期でありますが、年に何回かは見ることになるので、殆ど自分の生徒のように、課題を与え、計画的に教えるようになってきています。こちらは皆、アカデミーの立派な先生達に普段習っている人達ばかりなので、各担当の先生方とも綿密な連絡をとりながらレッスンをしていますので、ある意味では極めて理想的なレッスンをすることが出来ます。「彼にはもっとこういう勉強をさせたほうが良いんじゃないか?」とか「どうして今はこういう曲を勉強しているの?」などと先生と相談をすることもあります。こういうことができるから、ここの生徒は伸びてくる環境にあるのだと思うのです。
 そうでない場合は殆ど「一期一会」みたいなものですから、その時々、その場で発見された最も重要なことを教えなければ行けないと思っています。それには段階やステップを幾分無視したアドバイスも必要です。問題が生徒自身にあるのではなく、その先生にあると言わざるを得ない場合もあります。しかし、それは非常に伝えにくいことですが、殆どの場合、間違いなく生徒にとって最も重要な問題です。教えるということは、その問題に対して責任を負うということに他なりません。時には辛くなり、耐え難いほど辛い場合もあります。
 教えるということは私にとって、演奏することと全く同様に、一生の課題であり興味です。生徒が十人いれば10通りの可能性があります。それはつまり私も自分以外に10通りの人生を共有しなければいけないということのようです。

 


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