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ギターを始める

2-最初のギター

 ピアノとオルガンの練習をしなくなったのはその頃のことです。家に、何故かウクレレが2台もあって、兄貴や弟と当時流行っていた「牧伸二」の真似をしたり、聞き覚えた曲をこの貧相な楽器で弾くことに、限りない喜びを感じていました。「禁じられた遊び」は実はこのころ「ウクレレ」で覚えました。ギターという楽器をはじめて手にしたのは、小学3年生の春休みでしたが、ですからその時にはすでに「禁じられた遊び」はレパートリーだったわけです。ギターでこの曲を弾くと、ウクレレでは出せない「低音」があって、とても気持ち良かったことを覚えています。家庭訪問で、田中先生が我が家に来たとき、ギターで「禁じられた遊び」やカルカッシの「Andantino」「Valse」などを弾いて、聞いてもらったら先生はもうピアノを教えてくれなくなりました。ですから(少し後になってからですが)私はギターで、ベートーベンの「月光ソナタ 第2楽章」を練習したのですが、これはとても難しくて、当時はとってもギーゼキングのような響きはしなかったと、辛い思いをしました。今から思うと、この編曲は「全音」から出ていた阿部保夫先生の「古典ギター名曲全集」の中の「ナポレオン・コスト」の巻にあったものです。

 これは私が小学校3年生から4年生の頃の話・・・、ですから1964年(昭和39年)位の話です。東京オリンピックや「夢の超特急 新幹線」などの言葉、そして「キングコング対ゴジラ」などの映画を見た記憶と重なっています。最初に我が家にあったギターは、いわゆるクラシックギターではありませんでした。ナイロン弦は張ってあるのですが、なんというのでしょうか、ネックはもっと細身で、楽器全体も木の肌が見えない塗装の施されたものでした。これは3歳年長の兄が中学入学の祝いに、ギターの大好きだった12歳年上の従姉妹のご主人がプレゼントしてくれたものです。男ばかり3人兄弟(私は次男)でしたから、このギターはウクレレに替わる「本物」として日夜フル稼働であったことは言うまでもありません。やがて、私と弟は兄のギターを「借りる」という屈辱的な関係に対抗して、お年玉を貯めて、隣り町「函館」のデパートで、もっと「本物」のクラシックギターを買ったのでした。それが、おそらく小学校5年生くらいの時だったっと思います。3000円でした。