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《はみ出し者の運命》
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はみ出し者の運命
3.カルカッシの《粋 Op.60-21》
 
更新/2010年10月20日
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3.カルカッシの《粋 Op.60-21》

 マテオ・カルカッシの名前は教則本の著者として偏っている嫌いがあると思います。作曲家としても素晴らしく、もっと演奏されてよいと思われる曲が数々あります。また作品60の「旋律的にして斬新的な25の練習曲」も、単純な指の練習だけだと勘違いしている人がしばしば見られますが、決してそうではありません。音楽的な内容も豊かで、音楽は変化に富み、演奏会で聞かれてもよい作品のひとつだと私は思っています。

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 この練習曲集に含まれる「第21番 Andantino」はさらに個性的な曲です。ここにもアウフタクトが見られ、演奏の仕方によってはこれが「弱起」に聞こえない、変な曲になってしまうという難物です。演奏者は和音の進行を理解していなければなりません。それは旋律のどこにアクセントが来るかということと関わっています。いずれの旋律もアウフタクトからはじまり「ドシラ」「ミレド」「ラソファ」などと順次に下降する進行です。それぞれ「第一拍目」に装飾音(トリル)が付けられ、これらの音が「重みのある第一拍目」であることを更に強調しようとしています。
 しかし実はこのことが奏者にとっては難しい課題であって、装飾音が豊かに鳴り響かなければ、かえってこの拍の存在は薄く、軽いものになってしまうからです。さらに第二拍目には和音がありますから、二つの八分音符が必要以上に強く聞こえて、結果的にアウフタクトの音が次の第一拍目より強調され、あたかもこれが「強拍上(第一拍)」であるかのように聞こえて、楽節の最後で「字足らず」となる、不快感が生じてしまいます。
 たとえば最初の小節、装飾音のついた「シ」の音は実は倚音(apoggiatura)ですからさらに強調されるはずなのですが、装飾音を弾いた後のポジションの移動のせいで、音価が短く聞こえてしまいがちですが、それは避けなければいけません。次の「ラ」の音は解決する音ですからアクセントをつけずにやや短く。次の「ラ」も第2拍目 ではありませすが、同音の繰り返しですから、やはり音価は短めに、そしてフレーズの終りですからあまりアクセントはつけたくありません。二つの和音はですから軽やかに弾かれるべきです。
 では最初のアウフタクト(八分音符)どのように弾かれるべきでしょうか? 強く? 弱く? 長く? 短く? ・・・その答えは次の音についた装飾音を取って、「ドシラ」あるいは「ミレド」と弾いてみるとこの旋律が本来、どんな性格の旋律なのか、そしてどのように演奏されるべきかがわかるはずです。第一拍目への装飾はその音が「強拍であること」「倚音」であることを助長するために付けられているに過ぎません。そうしてみるとこの旋律は極めて滑らかで優雅な旋律であることを感じるはずです。言うまでもなく最初の音(アウフタクト)「ド」も次の音「シ」へもたれ掛かるようにたっぷりと演奏されるべきで、決して音価を短く(スタッカート)で弾いてはいけないはずです。ただし、次の音(第一拍目)以上に強く演奏されると、どうしてもこのおとが強拍に聞こえてしまうので気を付けなければなりません。 先の例(ソルの Op.35-17)のように、あるいはここは「四分音符」のように演奏されるべきかもしれないのです。なんとも粋な音楽ですが、これらの仕組みと関係がわかっていなければ、なんとも無粋で「奇妙な行進曲」のようになってしまいます。
 いつだったか、「アウフタクトは必ずスタッカートで演奏する」と公言して憚らない人に遭遇したことがあります。これはとんでもない話です。それは世の中の「はみ出し者」を一括して強制連行し、収容所へ押し込めようというのと、何も変わらない様に思えます。