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《はみ出し者の運命》
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はみ出し者の運命
1.ソルの悪夢(Op.35-17)
 
更新/2010年10月20日
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1.ソルの悪夢(Op.35-17)

 世の中はだいたい「はみ出し者」には冷たいものである。人生の中で一番意気がっている若者たちでさえ、皆と同じ服を着、同じような言葉を喋る。その意味がなんであるかは関係ない、とにかく皆と同じにしていれば自分は安全なんだという、一種の動物の自己防衛本能のようにさえ見えることがある。
 音楽にも「はみ出した」やつがいる。「イチ、ニイ、サン・・・」と音楽がはじまる前に、一人だけはみ出してしまうやつだ。これをドイツ語で「アウフタクト」というが、要するにこいつのせいで音楽が中途半端な小節からはじまらなければいけなくなって、アマチュアのヘタクソな指揮者なんかは、これをどうやって振っていいものか困ってしまう場合がある。ひどい場合には「せえの!」ととにかく弾き初めて、次から涼しい顔で「イチ、ニイ、サン・・・」と数え始めるけれども、おいおい「せえの!」の次は重みのある《1拍目》がきて「イチ、ニイ、サン・・・」となるんじゃないかい? と、突っ込みたくなる。これを音楽用語で「不完全小節」と言うらしいけれども、私はしばしば「不完全燃焼小節」だと感じるときがある。
 しかし、このはみ出し者達は実は音楽に不可欠な、そしてただ皆と整列していさえすればいいという凡夫には決して出せない味わいを加えてくれる。だからこそ作曲家はこのはみ出し者を扱うとき、いつもより細心の注意を払ってきたように私は思う。いくつかの例を見ていこう。

1.ソルの悪夢(Op.35-17)

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 ソルの練習曲は《月光》と渾名された「Op.35-22」が有名だけれど、わたしはこの「Op.35-17」も大好きだ。こちらの《夢》というニックネームは余りポピュラーではないけれど、なかなかによいネーミングだと思う。一体誰がつけたのかしら・・・? 多くの人はセゴビア編の「ソルの20の練習曲」で勉強するからこれを「練習曲第6番」と思っている人がいるけれども、この番号はセゴビアがつけたものだ。曲の最後でソルの書いた初版とは大きく違う部分があるが、それはさておいて・・・、実は曲の出だしが「はみ出し者」、すなわち「アウフタクト」ではじまっている。ところが初版(メッソニエ版)ではこのアウフタクトが「四分音符」になっている。これは印刷屋のミスではない。その下にある休符もちゃんと「四分休符」になっているからだ。つまり、ソルはここだけ「四分音符」で演奏して欲しかったのだろう。もちろん音楽としては「八分音符→四分休符」という動きが動機であることは言われなくともわかっているが、「曲の出だし」をこのようにたっぷりと初めて欲しかった・・・、というのがソルの「奥ゆかしさ」ではないだろうか? 勿論、これを「八分音符」で書くことの方が普通だし、そう書かれていたとしても曲ので出しは少し音を伸ばし気味に演奏したほうが、優雅になる。特にこの《夢》の様な曲は。そのことを忘れてしまえば、この曲はソルにとって、まさに《悪夢》となるのかもしれない。

 



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