Diary
2005
11

 

●つのだたかし
2005年11月23日(水・勤労感謝の日)
昨日22日、つのだたかしさんと波多野睦美さんの演奏会(京都 ALTI)に行ってきました。今回のつのださんはリュートではなく、19世紀ギターを携えて「ギタリスト」。波多野さんの素晴らしさは、数々の評判や、つのださんご自身からも何度も伺っていましたが実際に聞くのは今回が初めて。本当に素晴らしかったです。コンサート前半はモーツァルト、シューベルトなど。後半は南米の音楽、プーランク、そしてスペインのロルカ、と多彩なもの。つのださんが弾く19世紀ギター(シュタウファー)はまろやかな音色で、特にシューベルトは絶品でした。「アルフォンシーナと海」やピアノラの「オブリビオン」も感動的、最後のロルカではつのださんの真骨頂、聴衆はすっかりお二人の音楽に酔いしれたという感じです。勿論僕も!
 ところでこの写真は最近我が家に居候を始めた猫、二匹(決して、つのださんと波多野さんではありません)。と言っても野良猫ではなく、きっとどこかで飼われていた、お行儀の良い猫です。数日前の朝女房が買い物に行くと、にゃあにゃあいいながら女房の車に乗ってきたというのですが・・・。まあ今は「迷い猫」のポスターを貼りだして、飼い主を探しているのです。一体いつまで我が家にいることになるのか。
●セゴビア
2005年11月17日(木)
BERBEN というイタリアの出版社から続々と The Andres Segovia Archive という、セゴビアのために書かれた作品の未出版曲が刊行されている。既にトローバやバークレー等の貴重な作品と同時に、モンポーの有名な「コンポステラ組曲」も作曲者の自筆譜とともに刊行されているので、私達には貴重な資料となっている。A.Tansman の多くの未知の曲の中にはセゴビアが「時間さえあれば・・・」と思ったのではないか、というような興味深い曲も含まれている。 これは僕にとっても貴重な資料だ。今日はチェリスト、G.カサドのギター曲と、ギタリスト、I.プレスティのものを入手した。特にプレスティの作品はギタリストらしい素直な書法で、これはレパートリーになりうると思わせる。その名も「セゴビア」。しかし一体どれほど「Segovia」の名を持つ曲があるのだろう。A.ルーセル、D.ミヨー、そして今度はプレスティ・・・。
●荘村清志リサイタル
2005年11月2日(土)
先日10日に大阪で開催された荘村さんのリサイタルに行ってきた。プログラムは最近リリースされた「郷愁のショーロ」収録曲を中心としたもので、南米作品と、作曲家・猿谷紀郎氏の書き下ろし及び編曲作品が中心。僕は「音楽を楽しむ」ということと「演奏を楽しむ」というふたつの側面をしばしば個別に感じることがあるけれども、今回は圧倒的に後者! 決して音楽が楽しめなかったという意味ではない。むしろその逆だろうけれども、何と言っても演奏会を通じて聞き手を楽しませようとする、ギタリスト・荘村清志のパッションが凄い。つい一週間前に一緒に演奏した大先輩の演奏だったけれど、そんなことは思いだしもしなかった。また、共演したアコーディオンのS.フッソング氏が素晴らしい。この二人の二重奏だけを今度聞いてみたい、何ていう気持ちになった。
・・・つまり、それは荘村さんの側のことではなく、聞き手として、荘村さんがソロをしているとき「荘村清志」という存在が必ず意識されてしまうのだけれど、アンサンブルをしているときは荘村さんがやろうとしている音楽が、僕にはよりダイレクトに聞こえてくる。例えばアコーディオンと演奏したピアソラの小品などで、単純なギターの伴奏が、たまらなく生き生きとして、そして美しい。作品全体を作りあげるクレッシェンドの波しぶきに興奮させられる。コンサートの最後にはすっかり「荘村清志ワールド」に引き込まれていた、と言うことなのだろう。素敵な音楽会、有難うございます!
●武満徹とギターの音楽
2005年11月7日(月)
荘村さんに「今度武満さんの曲を中心にしたコンサートをしたいので、ご協力いただけますか?」とお願いしたのが昨年の8月のこと。「ならば全曲武満さんでやりましょう!」と言い切ったのは、荘村さん。もうそれから一年以上が過ぎて、思い返してみるとこの時間の経過は早かった。「武満徹とギターの音楽」は沢山の音楽ファンが会場となった京都府民ホール ALTI に来て下さり、熱い声援と盛大な拍手に、こちらも感動してしまいました。
前日の11月2日は大津市のホテルでリハーサル。演奏会を聴きに駆けつけてくれた福田進一君は4日には韓国に旅立ち。前夜はみんなで夕食を・・・、なぜか6日に東京デビューリサイタルを控えた松尾君も一緒。(なんとホテルで彼も猛レッスンを受けていたのでした)荘村さんとの練習はいつも楽しい・・・。抜群の初見力で、出来上がったばかりの編曲をもっていっても、すぐにその場で生き生きした音楽を創り出す。毎回アイデアが尽きない。そして本番にむけた真摯な姿勢! 今回の二重奏は本当に楽しかったです。演奏しているとき、僕にとっては荘村さんがまるで武満さんの化身のように見えて、音楽を自在に歌い上げ、僕はそれを観賞しているような気分になったり、さあ次はどうするんだろうと、わくわくしたり・・・、本当にこんな楽しい二重奏はありませんでした。僕達がステージの上に立った時、きっと天国からやって来た武満さんも一緒に歌っていたような気がします。
●森のなかで
2005年11月1日(火)
 いくら練習しても上手く弾けない曲というのがある。 小品であれ、またそれ程難しくないはずの曲であれ・・・。そしてこんな時「どうして僕はこの曲を弾こうとするんだろう?」と思ってしまう。だけどその答えはその曲を弾けるようになったときにしか見つけることが出来ない。弾ける曲は一杯あるんだから、わざわざこの曲を弾かなくても良いんじゃないか、と思っていたことが、そもそも間違いであったことにも気付く。弾けるようになったとき「ああ、これだ、これだ」と懐かしい想い出に行き当たったような感慨にふける。それは初めに、「この曲を弾きたい!」と感じたときの胸の中に沸いた感情そのものなのだろう。今度弾く武満徹編曲の「12の歌」のいくつかは、僕にとって、長い間そう言う存在だった。目の前にありながら、なかなか手が届かなかった。
 武満氏が最期に残したギター曲は「森のなかで In The Woods」という三つの小品だ。それぞれが、J.Williams、荘村清志、J.Bream、という三人のギタリストに捧げられている。もっともよく整理され整然としているのは第1曲、すなわちJ.Williamsに捧げた「Wainscot Pond」だ。第2曲、すなわち莊村さんに捧げられた「Rosedale」はこの組曲の中でもっとも難解で、ある意味、武満徹らしい音楽の味わいをかもし出している。第3曲、J.Breamに捧げたという「Muir Woods」は想像しえなかったほど、ロマンチックで官能的だ。これら三曲がほとんど遺作と言っていい時期に書かれ、そして幸か不幸か、まったくギタリストの校訂を経ることなく出版された譜面には作者からの底知れないメッセージがあるように思えてならない。いよいよ明後日、僕は京都で「武満徹とギターの音楽」という演奏会を迎えるけれども、この音楽会が僕にとって長い間待ち焦がれたものであるような気がする。ただ、それは終着点ではなく、むしろやっとスタートラインに立ったようなものであると、今は強く感じている。

from Nov. 19th 2002
only Counter!

Google
WWW を検索
このサイト内をを検索
WARNING!/本サイトに掲載されている画像、文章等、 全ての内容の 無断での転載・引用を禁止します

Copyright © 2005 Shingo Fujii, All rights reserved