マリア・エステルと最初に会ったのは私がスペインに留学しているときですから、もう20年くらい前になると思います。当時彼女はまだ十代で、「少女」と言っても良い若さでした。彼女に会うときはいつもお父さんかお母さんが一緒で、私が話をするのはアイスクリームを舐めているマリア・エステルよりは話し好きなお母さんか、いかにもスペインの親爺と言った雰囲気のお父さんでした。彼女は「セビリアの天才少女」として、既にスペインの何処に行っても有名な存在でしたが、コンクールや講習会、そしてフェスティバル等で会ったときはいつも地中海に降り注ぐ陽光のような笑顔で「オラー!」声をかけてくれました。
彼女が来日するようになって、もうかなりの年月が経ち、その回数も相当になるのに何故か私が彼女の演奏会を日本で聞いたのはもう十数年前のことです。今年、2003年の9月(博多)と10月(大阪)にマリア・エステルのリサイタルを聞くことが出来たのは、この上ない喜びでした。9月に博多であった彼女の公開レッスンの通訳を主催者(フォレストヒル音楽工房)に頼まれて、博多のホテルへ彼女を迎えに、十数年ぶりの再会を果たしました。ロビーへおりてきたマリア・エステルは以前と変わらない地中海の日差しのような笑顔で「オラー!」。人間とは不思議なものです。まるで昨日まで一緒に食事をしていたような気分で挨拶を交わし、そしてお互いに相当の年月が経っていることは重々承知していても、会話は以前と全く変わらない調子です。変わっているのに、変わっていない自分たちを、とても懐かしく、そして嬉しく感じててしまうのです。
公開レッスンではお互いに何だか気恥ずかしいような感触があって、最初は不思議な感覚でした。私はこれまでにこういった公開レッスンでの通訳を何度か依頼されて務めてきましたが、ある意味で今回ほどやりにくいと感じたことはありませんでした。何故ならデビット・ラッセルやホセルイス・ゴンザレスの場合は私の先生でしたから先生の言いたいことは手に取るように分かりましたし、G.セルシェルやE.フィスク、W.カネンガイザー、R.スミッツ等は私にとっても興味のある演奏家でしたから、こちらも強い関心を持ちながら通訳をしました。でもマリア・エステルはいわば「同級生」のようなもので(年齢はかなり違いますが・・・)、彼女にとっても私が隣に座っているというのは妙な面白さ、不思議な感覚があったではないかと思います。生徒へのアドバイスを繰り返しながら、いくつかの話題では彼女と私の間で会話が盛り上がり、ついつい話し込んでしまうこともありました。その時はまるで十数年前にアイスクリームを舐めながら音楽のことに関しては一歩も譲らなかった彼女の顔になっていました。絶好調で語る彼女の横顔は、いつの間にか彼女のお母さんにうっすらと似てきているのが愉快でした。
博多でのリサイタル(於/あいれふホール)は度肝を抜かれました。最初がバッハの「前奏曲、フーガとアレグロ
BWV996」で、こんなにも堂々として立派なバッハを聞かされるとは、思ってもいませんでした。次のジュリアーニやタレガ、バリオス等でも音楽の流れが本当に自然で滑らか、「身を委ねて音楽を楽しむ」と言う表現がまさに適切でした。九州のギターファン達も盛大な拍手喝采をおくっていました。博多でのリサイタルが
余りに素晴らしかったので、約一ヶ月後の大阪でのリサイタルに家族を連れて聞きに行きました。プログラムは博多とは全く違うものでしたが、こちらも素晴らしい演奏でした。特に印象的だったのは、ケルナーのファンタシア、チマローザのソナタ、そしてバッハの第2番のリュート組曲など、バロック作品を驚くほど見事に演奏したことです。以前の彼女から想像も出来ない・・・、と言ったら失礼なのですが、彼女が本当に真面目にバロック音楽のスタイルや、テクニックとの兼ね合いを見事に習得してきたことを存分に感じさせる演奏でした
。こういったバロック作品の演奏では、D.ラッセルやE.フィスクが素晴らしいと感じていたのですが、彼女もこういった演奏家に一歩も後れを取っていません。
すごく個人的な見解なのですが、私がスペインから帰国するころ彼女は自分自身のテクニックを大きく変えようと非常に苦労をしていました。「セビリアの天才少女」であったマリア・エステルは音楽の豊かさも、テクニックの完全なコントロールも、間違いなく「世界のマリア・エステル」という完成をもって、私の目の前に登場したわけです。ギターの演奏会で、こんなにも充足感を味わえることは決して多くはありません。演奏会ではプログラムが終っても、いつまでもいつまでも彼女の演奏に浸って居たい気分でした。終演後の彼女は、またいつもの、私の知っているマリア・エステルになっていました。今度はいつあの演奏を聴くことができるのでしょうか? 今から待ち遠しいのは、私だけではないでしょう。