Danse d'Azur pour deux Guitares,
pour Ken SHIBATA et Atsuko FUKUYAMA

ギター二重奏のための 《紺碧の舞曲》
柴田健氏と福山敦子氏のために

2002年6月
 ギター二重奏はひとつの完成された演奏形態ではないかと私は思っています。ギター本来の魅力を生かしながら、音色の広がりを一層拡大したり、ダイナミックスの幅をより豊かにすることは勿論のこと、音楽の組成そのものにおいても、ギター二重奏は大きな可能性を秘めた演奏の方法でしょう。その代わり、独奏とは又違った 演奏上の難しさがあり、技術的にも音楽的にも、要求されるものは易しくありません。
 柴田さんと福山さんは永くご一緒にこの分野に取り組まれ、国内外で幅広く活躍されていますが、私にとっては同時に 気の置けない親しい友人達でもあります。ギター二重奏のための音楽を書くことは長い間の懸案でありましたが、柴田さんから新しい作品の依頼を頂いてそれまで考えていた、大きな規模の「ソナタ」を書こうということで合意していました。19世紀の器楽曲の為のソナタのように、ソナタ形式の楽章やいくつかの舞曲を含む音楽です。ところが2002年の4月か5月になって柴田さんから「7月に東京で演奏会をするからそれまでにまにあわないだろうか?」と連絡をもらい、それはどうしても時間的に無理だったので「とりあえず短い《舞曲》を書きましょう」ということで了解していただいたのがこの曲です。
 ゆったりとした前奏部分(Prologue)とロンド形式から成る舞曲(Danse d'Azur)の部分がありますが、音楽は一つながりのものです。最初は舞曲だけで構想し、実際そちらが先に出来上がったのですが、 あとになってどうしても「導入」の役割をするものが欲しくなり、主要なモチーフやリズムパターンが提示するような形で「前奏」を書きました。
 曲名にある「紺碧」という色を意味する言葉は、私と柴田さん達との間にある、ある種の共通項を暗示するものです。私はスペインに留学しその地で様々な体験をし、またいろいろな国の友人を得ましたが、柴田さん達にとってはその舞台はフランスでした。フランスは南ヨーロッパと北ヨーロッパの二つの顔を持っていますが、どこまでも深く蒼い「地中海」を挟んで、または抜けるような青空の広がるイベリア半島の付け根、ピレネー山脈を間に、互いに接しています。様々な歴史や文化を持つ国々から若者たちが集い、音楽という共通の舞台で溢れんばかりの生命を躍動させる、そんな意識が私の中にありました。
 それともう一つ・・・、2002年の4月にお二人が滋賀県の琵琶湖のほとりでコンサートをされたとき、敦子さんのブルーのドレスが、ガラス張りのチャペルから眺められる紺碧の水面(みずも)に鮮やかに映えて 、さながら水神のご来光のごとく美しかったことが、この曲名を思いつかせた理由かもしれません。
  6月に作品はでき上がり、翌月の7月に東京のGGサロンで初演されました。
● 柴田・福山デュオ Shibata & Fukuyama Guitar Duo

1988年結成、デュオ中心の活動を開始する。ギターデュオをフランスにてアンリ・ドリーニ&伊藤亜子夫妻に師事、キューバにて南米音楽の演奏法をレイ・ゲーラに師事。 1989年「讀賣新聞社主催」瀬戸大橋開通記念コンサート、国際万博《花と緑の博覧会》『咲くやこの花館』にてリサイタルを行う。1991年「中華民国古典ギター協会」主催によるリサイタルを台北、高雄で開催、好評を博す。ユ92年“第7回フランス・モンテリマール国際ギターデュオ・コンクール”(主催:国営ラジオ・フランス)に入賞。翌年フランス・ニースでのリサイタルがニース・マタン紙にて絶賛される。以後各地で数多くリサイタルを開催し1995年ファーストCD(Duo-1)を発売。NHK-FMにて全国放送される。同年 CDに準拠したギター二重奏曲集(現代ギター社刊)が出版されている。2000年CD「タンゴ組曲」(Duo 2)をリリース。2001年ヴァイカースハイム(ドイツ)国際音楽祭にゲスト演奏者として招待される。

◇ 柴田 健(Ken Shibata)
ポンセに、室内楽をS・ブランに師事。またニースにおいて、A・ラゴヤ、C・ハームズに師事。1981年“パリUFAM 国際音楽コンクール”ギター部門で優勝。帰国後、東京、大阪、また韓国のソウルなどでコンサートを行い、ソロリサイタルの他に、関西フィルハーモニー管弦楽団、石丸寛指揮で、アランフェス協奏曲を共演など、室内楽、朗読家、声楽家との共演も数多い。相愛大学講師。

◇ 福山敦子(Atsuko Fukuyama)
9才より川西勇、近藤敏明各氏に師事。1979年“第6回日本ギターコンクール”(讀賣新聞社主催)に於いて13才最年少で第1位獲得。その後毎日新聞社主催、大阪芸術祭(名曲コンサート)に出演等東京・大阪・京都・韓国のソウル等4都市で数多くコンサートを行い朝日放送ラジオにて一年間レギュラーとして演奏する。1988年同志社大学を卒業。


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