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      Concerts - Shingo Fujii

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京都市立病院院内コンサート 2003
2003年11月15日[月・祝]




11月15日[月・祝] 3:00pm 開演
会場/京都市立病院
http://www.city.kyoto.jp/hokenfukushi/siritubyoin/

上床博久(テナー)
藤井眞吾(ギター)

PROGRAMME

1.緋色のサラファン (ロシア民謡)
2.大きな古時計(H. C.ワーク)
3.野ばら (H.ウェルナー)
4.エストレリータ(ポンセ/ギター独奏)
5.アニーローリー(スコットランド民謡)
6. 禁じられた遊び(ギター独奏)
7.アルハンブラの思いで(タレガ/ギター独奏)
8.セビリア幻想曲 (トゥリーナ/ギター独奏)
9.里の秋 (海沼 実 作曲/斎藤信夫 作詞 文部省唱歌)
10.浜辺の歌(成田為三 作曲/林古渓 作詞)
11.荒城の月(滝廉太郎 作曲/土井晩翠 詩)
12.紅葉(岡野貞一 作曲/高野辰一 作詞 文部省唱歌)
13.この道 (山田耕作 作曲/北原白秋 詩)


■Report by Shingo Fujii■

 今回の演奏会のことをレポートする前に、上床博久さんのことを少しお話します。上床さんは私の大学(京都大学)の先輩、そして上床さんは鹿児島ラ・サール高校の出身で、私は函館ラ・サール高校ですから、そこの点でも大先輩当たります。京都で時々、高校のOBが集まって飲み会をすることがあるのですが、昨年(2002年)その会を通じて上床さんのリサイタル・・・、それもデビューリサイタルがあることを連絡頂き、京都府立文化芸術会館に駆けつけました。ここは私が学生の頃、よく通った懐かしい音楽会会場です。 リサイタルのプログラムはシューマンの「詩人の恋」を中心としたものでしたが、演奏が作品の濃密さを余す所なく表現した素晴らしく、そして演奏が進むに連れて燃え上がってくるような音楽の炎が静かに閃光を放って、いつの間にか私の心の中は感動で満たされ、熱いものが両の眼から溢れてきました。

 さて、今回の演奏会は京都市立病院が毎年文化祭の一環として開催されている「院内コンサート」の第11回になるのだそうです。夏の頃でしたか、上床さんからお電話をいただき私のギター伴奏で、世界の民謡とか日本歌曲を歌われるということで、早速快諾した次第です。以前からこういった音楽、つまり民謡とか日本の少し昔の歌曲にはギターの音色がよくあうだろうと思っていたからです。ただし演奏会の性格から、つまり聞いてられる方の多くは入院中の患者さんで、車イスで聞かれる方や、中には点滴を受けながらベッドに身を横たえながら聞かれる方がいらっしゃるので、あまり長い時間の演奏は出来ません。また会場は病院のロビーですので、今回は Poo の小伏さんにお願いして、非常に柔らかなPAを入れてもらうことにしました。

 演奏曲目は上にご覧頂くようなものですが、先ず最初にクリアしなければいけなかったのはギターパートの音楽を作る・・・、つまり編曲をするということでした。いただいた譜面は伴奏が作曲者オリジナルのものもあれば、民謡の場合などは誰か作曲家が作ったものであったりしますが、当然今回の場合は上床さんの声に合わせて移調したり、またテンポによっては、伴奏そのものの感じを変えなければなりません。「荒城の月」は滝廉太郎の作曲(ロ短調)ですが、伴奏は山田耕筰の手によるもの(二短調)で、この調はギターにぴったりで、とてもうまくいったと思います。「この道」は上床さんが昨年のリサイタルでも歌われた曲ですが、へ長調をホ長調にすることによってギターは綺麗に響きます。「紅葉」の作曲者、岡野貞一さんは私の好きな作曲家ですが、今回はオリジナルの伴奏ではなく、私が新に作ったものでやりました。「緋色のサラファン」や「アニーローリー」などは伴奏に与えられる自由は、日本歌曲の場合より多いと思うのですが、その分歌との一体感が必要で、編曲にはまだまだ改良の余地があったように思います。まあ、これは次の機会の課題とすることにします。

 うっかりしていました・・・、上床さんの本業は京都市立病院の循環器のお医者さん(総診療部長)です。 ですから会場には上床さんに診療してもらってる人も沢山居るわけです。また今回の演奏会のことが京都新聞でご案内いただきましたので、新聞をご覧になって「あ、上床先生が歌われるんだ!」と驚いて駆けつけた人、またかつて治療をしてもらっていた人なども沢山いらしていたようです。あらかじめ聞かされていたこととは言え、開演間近になると会場となるロビーは車イスの人や、点滴をしながらベッドに身を横たえている人などが、一階にも、そして吹き抜けの二回にも沢山見かけられました。もちろんこの雰囲気は私にとっていつものコンサートとかなり違うものです。かつて何度か、大分県佐伯市の南海病院と言うところでこのようなコンサートをしたことがありますが、こちらは院内に小ホールを持ってられて、雰囲気は普通の演奏会と殆ど変わらないものでした。ですからステージに立ったときには、今目の前にいる人達の中には病室からここまで来るのにも大変な苦労をして、あるいは一人でここまで来られた人は一体何人居るんだろうか、と言うことを考えたりしたのでした。ところが一瞬、隣に立っている上床さんのことを考えてみたら、彼にとっては会場の殆どの人が、誰であるか分かるだろうし、名前も顔も、そして健康状態のことも分かる訳ですから、心中の複雑さは私を張るかにしのぐものであったことは想像に難くありません。

 演奏会は途中にギターの独奏で「禁じられた遊び」と「アルハンブラの思いで」、そしてトゥリーナの「セビリア幻想曲」をはさみ、前半に海外の民謡やよく知られた歌、後半に日本歌曲を演奏しました。また「紅葉」では病院の看護士さん達との合唱、そして会場の全員での合唱も楽しみました。演奏が終ると、沢山の方々から花束を頂戴しました。中には京都新聞を見て駆けつけた方もいらしたようで、上床さんのおかげで健康を取り戻した喜びと音楽を聞いた感興から、花束を手渡しながら涙ぐまれる方もいらっしゃいました。礼奏として「この道」を演奏しました。

(藤井眞吾/記 2003,Nov.)