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ESSAY

藤井眞吾のエッセイ《12のエッセイ》

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12のエッセイ

 
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12のエッセイ ・・・
《 作曲家として思う事》


 以前ある冊子に「鶴の恩返し」というタイトルで以下のようなエッセイを寄稿したことがあります。引用が長くなりますが・・・

crane《「よひょう」という若者が怪我した鶴を救うと、ある日「つう」という女性がやってきて、や がて娶ることになる・・・。生活の蓄えが無くなると「つう」は部屋にこもって「はた」を織る・・・。という一連の話は「鶴の恩返し」として有名な話だが、 「つう」の正体は「よひょう」が助けた鶴であり、機織りの材料となったのは鶴の羽毛であるというくだりに至って、機織機の前に座った鶴が自らの体から嘴で 羽毛を抜く様を想像すると、何か不気味な気分がしたものだ。
 私が作曲するときには、どこか「つう」になったような気分になる。音を並べる技術のようなものは持っていても、新しい音楽を生み出すには自らの身体からまるで羽毛を引き抜くように、全身全霊を注ぎ込まなければいけないこともある。私にとっての「よひょう」は誰なのか・・・、良く分からない。時には作曲 依頼者であり、また時にはその作品を初めて演奏する人達であり、時には自分自身であったりする。いや、誰であってもいい。生まれた作品は誰よりも私を喜ば せてくれる。》

 これは2003年に書いたもので、それからずいぶんの年月が経っていますが、未だに作曲をする時に感じる、その「感覚」はまったく変わっていません。その間に何度か「もう作曲をするのはやめよう・・・」と思いましたが、作品の依頼があると、ついつい引き受けてしまいます。なぜ「やめよう」と思ったかと言いますと、作曲のためにとても時間を取られたり、まさに鶴が自らの羽毛を引き抜く事に身体的苦痛が伴うように、私も作品が出来上がらない事に対する、苦痛や自責の念に、ボロボロになりそうに感じることがしばしばあったからです。
 そしてもう一つの理由は、作曲をしている間、ギターの練習が殆ど出来ないからです。時間が制約されるという事もありますが、頭の中で二つの異なる作業を並行できない、というのが最大の理由です。「作曲」と「演奏」が何故異なる作業なのかと言いますと、私にとって「作曲は自分自身を見つめる」事であり、「演奏は作品を見つめる」事だからです。私の作曲作品リストに「ギター独奏曲」が一曲もないのは、同じ理由です。私は今まで「必要があるから」あるいは「依頼をされたから」作曲をして来たのですが、自分で演奏するために新たに作品を生み出そうと思った事は一度もありません。私達ギタリストは、豊穣にして潤沢ななレパートリーを持っているのですから、そこに私の作曲を加える必要など一度も感じた事は無いのです。
 ・・・いえ、実は一度だけ「讃歌 Hommage」と言う曲を自分のリサイタルのために書いて演奏したことがあるのですが、それは極めて異質な作業であった事を、うっすらと記憶しています。悪い曲ではありませんが、もう一度弾こうとは思いません。
 作曲が嫌いなわけではありません、いえ、とても大好きです。今年も日本ギタ-合奏連盟の委嘱で13分のアンサンブル曲を上梓したところですし、今月は私が教えている洗足音楽大学の委嘱でもう一曲、これはかなり大掛かりなアンサンブル曲になる予定で、これをもう取りかかっていなければならない時期なのです。また年内には、アメリカの「ロサンジェルス・ギターカルテット LAGQ」からの委嘱で、LAGQとギターオーケストラのための「協奏曲」を書き、それを来年アメリカの5都市で初演、私もツアーに同道し、指揮をすることになっています。どれも私にとっては、とても楽しみな作業です。
 作曲をすることによって、私の音楽活動が大きく変わって来た事は否定できません。もう何年かしたら、作曲をしている自分と、演奏をしている自分が、同じ一人の「音楽家である」と、少なくとも私の生活のなかで、この二つの事が上手く共存できるようになってれば良いな、と考えています。

藤井眞吾(2011年8月12日)