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ESSAY

藤井眞吾のエッセイ《FORESTHILL NEWS》

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FORESTHILL NEWS

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藤井眞吾 エッセイ vol.9
コンクール

 おおよそプロの演奏家達の殆どは、若い日の記憶のどこかに「コンクール」という題目の頁が、ある人の場合は燦然と輝き、またある人の場合は苦々しい思い出として封印されているのではないかと思います。職業演奏家の道への登竜門としてコンクールを受けた人達にとっては、必ず強烈な記憶となっていることでしょう。最近では日本のコンクールは年齢の層も広がり、純然たるアマチュアの方達もプロ志望に混じっていますから、そういう人達にとってはむしろ「腕試し」のような機会であって、案外気楽で楽しいものなのかもしれません。
 先日、第52回九州ギター音楽コンクールの審査委員長を依頼され、久し振りに同コンクールの張りつめた空気を肌で感じてきました。これまでも審査員の一人として何度かお招きをいただきましたが、何故か一体誰がその時々に一位優勝者であったのかと考えると、しばし思いだすことが出来ません。しかしその順位とは関係なく、私の記憶の中にハッキリとした記憶を残している演奏者は今でも何人かいます。フォレストヒルミュージックアカデミーはこれまでも優勝者を輩出していますが、私が関わったときにはそういうことがありませんでしたので、今回の上野芽美さんの優勝は私にとっても初めての経験、すなわち私自身が教えたことのある生徒が目の前での優勝は初めてと言うことになります。
 そもそもコンクール Concours というのは「con + cours」という造語で「勉強を伴にした者たちの間での最終試験」というよなところから発生した言葉であり、物なのです。私が1986年に参加したサンティアゴ・デ・コンポステラ国際音楽講習会で行なわれていたコンクール、あるいは有名なアレクサンドリアの講習会とコンクール、などはそれらの伝統的スタイルの典型であるといえるでしょう。しかしその様に「講習会」を伴わないコンクールは沢山ありますし、日本のコンクールは全てコンクールが独立したものでしょうし、一般にも「コンクール」と言ったとき「講習会が伴っている」という認識は殆どないと思います。ですから現在は一般的にはコンクールには「課題曲」があるのですし、審査員はその課題を手がかりとし、また基準として奏者の優劣を判断するはずです。それは極めて大事なものなのです。
 私はコンクールというものにおいて「自由曲」というのは基本的に不要なものだと考えています。もし「自由曲」を採用するなら、それ相応の「課題曲」が課されていて、その上での採点基準として考えるべきだろうと思います。またこのように「人が人を判断する」のですから、あらゆる人知を尽して審査することが、音楽に対して夢と希望、大志を抱く若者たちに対する誠意であろうと思います。
 優勝した上野芽美さんはそう言った様々な心配を吹き飛ばしてしまうような見事な演奏で優勝をもぎ取りました。コンクールがいつもこのように優勝者が明確であるとは限りません。九州のこのコンクールは誇るべき歴史を持ち、またこれまでの私の審査員経験からも極めて公正に運営され審査されてきたと確信しておりますので、今後もより一層の質とレベルの向上を願いつつ、少しばかり思いつくことを書いてみました。

 

FORESTHILL NEWS
no.63 (2006.10.25)