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ESSAY

藤井眞吾のエッセイ《りんごのおと》

ESSAY
りんごのおと

 
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24.閉じてこそ新に開く

 

 「タッチ」と言う言葉をお聞きになったことがありますか? 楽器の演奏では、「演奏の仕方」とか、「楽器の鳴らし方」・・・、ギターの場合ですと指が弦にどのように触れるか(Touch)という、ことです。イタリア語やスペイン語では楽器を演奏するという意味に、まさに「タッチ(触れる)」という言葉を用います。私はもう40年ギターを弾いているのですが、勿論その間いつも「タッチ」のことを研究し、学び、訓練しておりました。つまり自分の指が、どんな角度で、どれくらいの力加減で弦に触れるかという微妙なことを考えておりました。ところ最近になってやっと、弦を離れた指がどうやってもとの位置に戻るか、あるいは指が弦からどう離れるか、ということがとても大事であるということに気付いたのです 。
 似た様なことがもうひとつ。以前は私のもとにギターを学びに来る若者がいると、何を与えるか、何を教えるか、どのように教え、どのように育てるかと言うことに腐心していましたが、若者を音楽家として育てるにはそのこと以上に、何時どのような時期に、どのようにして私のもとを去らせるのが良いかが重要であり、一番難しいと感じるようになりました。
 琵琶湖リサイタルシリーズが24回目を迎えました。私の「エッセイ」もそして24回目です。24と言う数字は「12+12」です。私たちは365日を12の月に分けて暦としています。また一年にはそれぞれ12の干支があり、さらに大きな時の流れを秩序立てています。12の星座によって人の運勢を占う人がいますが、そういえば私たち音楽家はいつも、ある音から一周り上の同じ音までの「1オクターブ」を12に分けて、長短の音階を作り、明暗の和音を奏で、音楽を語ります。「12」と言う数字はかくも私たちにとって卑近であり、かつまた意味深く、重要な数字だということです。
 今回お迎えした演奏者は、David Russell氏。紛れもなく当代随一のギター奏者であり、そして私にとっては大きな、大きな存在の先生でもあります。このエッセイを24回連載して、私の先生をお迎えすることが出来たというのも、なにかの運命、時の流れ、神の啓示かと。私のもとを巣立ってゆく若い才能達と同様、そしてより良い次の音を準備すべく、より良く弦を離れてゆく私の指のように、私もこの連載にひとまず休止符を打ち、新たな出発をしてみたいと思った次第です。24回の長きにわたってご愛読いただいた皆様に心より感謝いたします。

藤井眞吾

「りんごのおと No.24」2004年10月13日発行