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ESSAY

藤井眞吾のエッセイ《りんごのおと》

ESSAY
りんごのおと

 
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19.調 和

 つい先日、知り合いからの依頼で、さる美術館でフルートとの演奏を致しました。本番の前の日に初めて会場でベルギー人のフルート奏者、クリスチャン氏に会い、演奏曲のリハーサルをしました。そして翌日から二日間、二回の本番を無事終えることが出来たのですが、周囲の人達は私達が初対面であることにひどく驚いている様子でした。何故なら、演奏の息がとてもよく合っていたこと、そして親しげに英語で話しあっていたから、なのだそうです。こういった「合わせ物」の仕事をして、このように言っていただくのは「よい演奏がで来た」と解釈することにしていますが、「息の合った演奏(アンサンブル)をする」ということは、そんなに難しいことではありません。音楽にはいくつかの約束事や、音程、リズム、テンポなどの「秩序」がありますから、互いにそれが分かりあっていて、またそのルールを守った上で演奏する技術があれば、たとえ初対面の演奏家同氏でも至極当然なことなのです。
 ギターは大概「伴奏」をするわけです。若いころに初見や合わせが上手いことを買われて、よく伴奏の仕事をやりましたが、しばらくするとそれが、どうも自分の音楽的欲求を満たしてくれるものではないという不満から、いつの日かそういう仕事を辞めることにしていました。ところがあることがきっかけで、再びギターでアンサンブルをするようになったのですが、それは伴奏に巧みに合わせる事のできるソリストに巡り合ったからなのです。これは変な言い方かもしれません。ある特定の時代の音楽を除けば、実は音楽の土台となるものは殆ど低音の伴奏の中にあって、バロック時代の音楽はその典型的な例です。音楽の根底にある仕組みや流れに耳を澄ましたうえで、そこにあるべき旋律の姿を華麗に描き出す彼の技術や音楽性は驚嘆に値し、また稀に見る才能でした。私はその時改めてアンサンブルをすることの喜びや楽しみを堪能することが出来たのでした。彼の名前を清水信貴と言い、現在京都市交響楽団のフルート首席奏者を務めています。
 人々が長い間音楽を愛し、そこに夢見るのは、現実の世界ではなかなか成立しない秩序や調和が、確かに築き上げられるからなのかもしれません。

藤井眞吾

「りんごのおと No.19」2004年3月30日発行