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ESSAY

藤井眞吾のエッセイ《りんごのおと》

ESSAY
りんごのおと

 
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15.阪神優勝

 日本のプロ野球では「阪神タイガース」が18年ぶりの優勝に向かって快進撃を続けています。18年前、私はスペインに居りました。日本からやって来る人達が「今年は阪神が優勝だ」と言うから、日本では一年を通じて「エイプリルフール」をやることになったのかと本当に思ったものでした。先日18年前にスペインで会った友人と、その話を懐かしく思いだしていました。
 ところが「阪神優勝」と言う言葉を、誰もが軽々しく口に出来ない、と言う状況になっていたかもしれない・・・、ということを御存知でしょうか。それは然る御仁が「阪神優勝」という言葉を商標登録してしまっていたからです。阪神球団はあわてて、その権利所有者から「阪神優勝」と言う言葉の使用権を買い取るのだそうですが、全く妙な話です。
 音楽の場合には「著作権」と言うものが存在します。私達演奏家は、作曲者が死後50年以内の著作権が有効である作品を演奏会で弾く場合には、「著作権」に対して「使用料」を支払わなければなりません。それは場合によっては一回の演奏会で「数万円」という、少なくない金額に及ぶこともしばしばです。著作権という概念は勿論重要でありますが、しかしバッハやモーツァルトの時代には今のように「著作権」に苦しめられることはなかっただろうと思います。ヴィバルディの作品を数多く編曲したバッハは、彼にその作品使用料を支払ってはいないでしょうし、「モーツァルトの主題による変奏曲 Op.9」を作曲したソルに対して、モーツァルトは著作権の主張をしなかったでしょう。当時、流行のオペラのアリアを題材に変奏曲やポプリ(接続曲)を演奏することは当たり前のことでしたが、現在ではだからといって「SMAPの主題による変奏曲」とか「美空ひばりヒットメドレー曲」なんて言うのは勝手に作曲・演奏することは出来ませんし、それをするとなるとそれ相応の使用料を支払わなければなりません。
 本人の知らないうちに「阪神優勝」等と登録されてしまったのでは堪りませんが、しかし音楽などのように「共有」することによって価値が生まれる物の場合は、もう少し制約に自由を持たせてくれても良いのではないかと思う時があります。そうなれば音楽会の演奏曲目はかなり変わってくるだろうと思います。

藤井眞吾

「りんごのおと No.15」2003年8月5日発行