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ESSAY

藤井眞吾のエッセイ《りんごのおと》

ESSAY
りんごのおと

 
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14.疎 通

 先日、ある出版社の方から戴いたメールに「京都へ遊びに行ってラーメンを食べてきた」とあったので、早速何処のラーメン屋か・・・、旨かったか・・・、と返信をしました。折り返し帰ってきた彼女のメールには「からかったけど美味しかった」とあり、そこで私の思考回路はいったん停止してしまったのです。彼女は関東出身のはず、出版社も東京にあり、わざわざ京都まで来て「ツケ麺」を食べたことに当惑したのではなく、「からかった」というその言葉に、はてどちらの意味かと困惑したからなのです。
 私は生粋の道産子、関西に来てなかなか慣れなかった言葉のひとつに、食べ物の味を表して「からい」という時のニュアンス。私は、そしておそらく関東でも、タバスコや、唐辛子は「からい(辛い)」と言いますが、おひたしに醤油をかけ過ぎたり、蕎麦汁の塩味が強すぎるときには「しょっぱい」と言います。「塩辛い」と言うことはあっても「からい」だけで「塩辛い」ことを意味することはありません。
 九州育ちの家内がうどんを食べていて「からい!」と言うと、「おや、七味をかけ過ぎたのかな?」と思ってしまいます。辛し明太子を食べて「からい」と言ったときには、「辛い」と「塩辛い」の両方の意味で言っているのかもしれません。しかし私の味覚の中にはこの二つの味覚「辛い」と「塩辛い」が相容れるところは全くと言っていいほど存在しないので、この言葉の使い方はいまだに難しく感じられるのです。
 さて編集者の彼女の言った「からい」はどっちの意味なのだろうかと、私の脳は停止してしまったのでした。自分でそのラーメンを食べてみるのが良いか、それとも彼女の出身地が確かに関東であるのかを訊いてみるべきか、意志の疎通とは斯様に難しいものなのだと、痛感している今日この頃です。

藤井眞吾

「りんごのおと No.14」2003年7月13日発行