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ESSAY

藤井眞吾のエッセイ《りんごのおと》

ESSAY
りんごのおと

 
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11.説得力

 私は平尾雅子さんのファンです。平尾雅子さんと言うのはアイドル歌手ではなく、モー娘の新メンバーでもなく、ハリウッドの映画スターでもなくて、ガンバ奏者の平尾雅子さんのことです。私はファンです。かつて、本連載で「私はTV映画“スター・トレック”のファンだ」と書きましたが、私は両者に対しては甲乙付け難い程、熱烈なファンなのだ、と言ったら平尾さんに失礼でしょうか?  初めて平尾さんの演奏を聞いたのはもう20年以上も前。ガンバ奏者としては、平尾さんの先生にもあたる、サバル氏の人間味溢れ個性的な演奏や、クイケン氏の天才的に完成された音楽も、大好きなものであることは言うまでもありません。しかし、今日に至るまで私を惹き付けて放さない平尾さんの魅力は、彼女自身の人間的な部分からの発露とか、演奏技術の高さや音楽の完成度という部分ばかりに起因するものではなく、おそらくそれは「力」、一種の「集中力」、あるいは聞き手に対して音楽を語る「説得力」とでも言うのでしょうか。勿論その「力」が、豊かな人間性や個性や音楽性、そして極めて高度に研ぎ澄まされた演奏技術が無くしてはあり得ないことなのではあるけれども、演奏が始まった瞬間から最後の弓奏に及ぶまで、時間の流れが音楽の展開と一体となり、聞く者をして音楽そのものに集中させ、更には聴衆が今演奏された音楽と一体となる、という感覚は平尾さんの場合極めて印象的なのです。
 どのようなジャンルの音楽でも、又いつの時代の音楽でも「メロディー」と言うのは軽んじることの出来ない重要な要素です。しかし世に言う「メロディー演奏家」としての、ソプラノ歌手やテナー歌手、ヴァイオリニストにフルーティストなどの中には、音楽全体のバランスなどお構いなし、勝手気まま、しばしば「もう勘弁してくれ」と言わざるを得ないような演奏があります。ガンバという楽器は、特に独奏に使われるガンバはアンサンブルにおいては低音がその専門ですから、当然ながら全体の調和に細心の注意を払わなければなりません。平尾さんの独奏にはいつも音楽全体を視野に据えた絶妙の「メロディー」を聞くことが出来ます。
 かつて、ある音楽の講習会で平尾さんとご一緒する幸運に恵まれました。そしてレッスンを終えた夜、会場となった市内の居酒屋に講師の仲間達と飲みに行ったことがありました。私の記憶では、その時、平尾さんは当地の名産「ままかり」を頬張りながら、豪快に地酒を飲み干していた記憶があるのですが、何と一昨年「琵琶湖リサイタルシリーズ」にご出演いただいた後にその話をしたら、彼女は全くの下戸なのだそうです。一体私の記憶は何故間違っていたのでしょう?
 京都生まれの平尾さんが、東山五条にある「うどん屋さん」が美味しいという話をしてくれたことがありました。麺好きの私は、いつかきっとそのうどんを食べてやろうという気になっていましたが、そのうどんがいかに旨いか、何故旨いか、そしてお店のオバチャンがどんな人なのかという話を聞いて、もうすっかり食べに行ったことがあるような気にさせられていました。
 そんな平尾雅子さんが、イタリアの鬼才、P.パンドルフォと二重奏をするというのですから、こんな楽しみなことはありません。一体今度はどんなふうに聞かせてくれるのでしょう。こんなにも聞き手に対し、諦めることなく、且つ入念に語りかけ、そして納得させられる「力」が、もしも然る大国の大統領に、爪の垢ほどもあったなら、今世界で出来(しゅったい)し始めた悲劇的な戦争などは起きなかったかもしれない、と私は思うのです。

藤井眞吾

「りんごのおと No.11」2003年3月28日発行