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ESSAY

藤井眞吾のエッセイ《りんごのおと》

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りんごのおと

 
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8.夏が来れば思い出す

 

laSalle 私の通っていた高等学校は函館市内のちょっと小高い丘の上にあって、眼下には津軽海峡に続く宇賀浦の波の輝きを、丘陵を降りると香雪園といういかにもロマンチックな名前の自然公園の木立から爽かな風を頂戴していた。ところが2年生の時、函館に異変が起こった。7月、初夏、もっとも爽かな筈の函館に猛暑が襲った。道南の夏には、二三日だけ、摂氏30度を超える日があった。それは我々には堪え難い暑さであった。しかし、「夏なのだから・・・」と微かに30度を超えた寒暖計を見つめながら、じっと暑さをこらえるのが毎年の恒例であったのだが、その時の暑さは何と30度を遥かに越えて、32度とか33度とかあった、はず。いやもしかしたら、31度位だったかもしれない。そんなことはどうでもいい、とにかく我々道産子には、まさに異常事態以外の何物でもない「猛暑」であったことに違いはない。その証拠に、我が母校は「異常気象につき、授業は臨時休業とし、賢明なる学生諸君は自宅にて勉学に勤しむこと」と英断を下したからである。しかも、三日間。
 今、私は京都に住んでいる。7年間の学生時代は銀閣寺の近くに、そしてそのあとは、スペインへ。・・・暑かった。大学一年生の時、先輩達に連れられて練り歩いた祇園祭の夜の蒸し暑さ・・・、そしてブラジルからの交換留学生が「キョウトノナツ、アツイ、シンドイ。アマゾン、ヨリアツイ。セカイデイチバン、クソアツイ。」と言っていたっけ・・・。バレンシアでビールを飲んで、通りに出たら、街路の温度表示計が「摂氏40度」と点滅しているのを見て、頭の中が真っ白になるのを覚えたっけ・・・。
 人間は環境の生き物だ・・・、と誰かが言っていたけど、当然生まれ育った土地の気候も大きく影響するだろう。いつもドンヨリとした雲が津軽海峡の上に垂れ下がって、盆踊りだというのに浴衣の上にカーディガンを羽織らなければ寒くて堪らないという道南に育った私の中には、息苦しいほどの蒸し暑さの中山鉾巡行を眺めたり、焼けつくような日差しがきらきらと輝いて鴨川の流れに反射するといった様な情景はなかった。道南の四季は厳しい寒さの冬を中心に、緩やかに、いつの間にか変化していく。気付かぬうちに。京都の夏のように、激烈な力強さはない。秋風が吹いて、山々が色づく時、肌を刺すような北風が吹き始めるのだという、急な坂道を滑り落ちていくような感覚は、私の故郷にはなかった。
 もう人生の半分以上を「夏の気温は30度以上になるのが当たり前」という環境で暮らしていると、この熱さが好きになった。この狂ったような熱さは、僕の好きな何かに似ている、と知ったからだ。きっとギターを弾いているときの何かに、それが似ているから、今は「夏はいい!」と思う。

 

藤井眞吾

「りんごのおと No.9」2002年7月26日発行