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ESSAY

藤井眞吾のエッセイ《りんごのおと》

ESSAY
りんごのおと

 
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6.時 間

 

 「タイムトンネル」というアメリカのSF番組を、昔とても気に入っていたけれど、ストーリーの辻褄を考え出すと、それこそ夜も眠れなかった。音楽は時間の芸術だ、と何方かがおっしゃったけれど、まさに言いえて妙。音楽の醍醐味、面白さは言葉では到底説明がつかない。だから、コンサートの味わいはその限られた時間を同じ会場で共有した者同士にしか解らない、と言ってもいい。
 「時計」という道具が時間を数量化するために使われるけれど、私達の記憶の中で、時間は単に「分」や「秒」で言い表される以上の何かを持って存在している。「量」としての時間にはいつも「質」としての記憶が充満している。だから私達は無意識のうちに、記憶の中のどこかから現在までをひも解くことによって時間を測ったり、あるいは現在から起こりうる事象を頭の中で予め展開し、推測や予測することによって時間を測ろうとしているように思う。勿論、それ程恣意的な場合ばかりではない。通い慣れた通勤の電車の中ではひとつひとつの駅名が、自動的に時間の経過として認識されるだろうし、読み進んだ本のページ数が読書に費やした時間を表し、ふと気付いたときの陽の傾きが一日の過ぎゆく時を教えてくれる。そういう感覚が、私は好きだ。
 このチャペルでのコンサートは、ステージ越しに何気なく視野に入ってくる景観の移ろいが、演奏の記憶と深く融合しているように思えてならない。黄昏時の琵琶湖の水面(みずも)の反映、ゆったりとした遊覧船の足取り、音楽とはお構い無しの水鳥の飛翔、等々。都会のコンサートホールの閉じこめられた実験室のような、殺風景な時間とは大きく違うように私には思えますが、如何でしょうか?

 

藤井眞吾

「りんごのおと No.6」2002年4月24日発行