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ESSAY

藤井眞吾のエッセイ《りんごのおと》

ESSAY
りんごのおと

 
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5.記 録

 

 リコーダーという縦笛は、小学校や中学校の音楽でも教わるのでご存知の方も多いでしょう。名前の由来は、其の昔、ヨーロッパで小鳥達に美しい鳴き声を調教する為に使った、すなわち理想的な鳥の歌声を記憶させる道具であった処から来ているのだそうです。 最近は電話をかけても、何時、誰へ、何分間の通話があったかと、つぶさに記録が残りますし、電車のカード式回数券にも、何月何日に、どの駅からどの駅へ乗車した、と記録されます。街のいたる所に防犯カメラが設置されているので、全く自分のプライバシーは知らぬ間に管理されていると思ったほうが良いのかもしれません。 作曲家は五線紙の中に音楽の記憶をとどめます。慎重にすい稿された楽譜は音楽の記録であり、音楽の精密な設計図なのです。かつては真黒な円盤、LPレコードが数々の名演奏を記録し、私達の耳を楽しませましたが、今はそれらの情報を二進法の電気信号に集約してしまいます。記録という作業が、過去のでき事を後世に伝える事を目的としているのなら、CDはかなり優れた記録メディアと言えるでしょう。しかし演奏会場に実際に足を運び、会場に溢れる生の音楽は何ものにも優る“記憶”として、感動と共に、私達一人一人の心の中深くに刻まれる、と私は思っています。ただし、その時記録される物は奏者の演奏ではなく、聴き手の、その時の情感なのではないでしょうか。

 

藤井眞吾

「りんごのおと No.5」2002年2月27日発行