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ESSAY

藤井眞吾のエッセイ《りんごのおと》

ESSAY
りんごのおと

 
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3.仕込み

 

 私の生まれ育った道南地方では冬が近づくと秋に収穫した大根やキュウリを冬の間の貴重な食料、とりわけビタミンの供給源として「漬物」にする。12月に入ると、近くの川に上がってきた「鮭(シャケ)」を何匹も買ってきて、身を刻んで、野菜やお米、そして米麹と一緒に大きな樽に浸けて鮭の「飯寿司(いずし)」にする。鮭の皮は堅く、また山ほどの大根や人参を千切りにしなければいけないので、主婦にとっては重労働だ。京都の千枚漬けとは違った野趣溢れる漬物や、滋賀県の鮒鮨とも趣の違った「鮭の飯寿司」は私の大好物だ。
 しかし仕込みの大変さは半端ではない、・・・らしい。何故ならこれらの作業はいつも母の仕事で、私は一度もやったことがないし、また手伝わせてもくれない。おそらく仕込みの微妙なバランスが狂ってしまうからだろう。私の仕事は専ら完成した作品を満面の笑みで戴くことだけだ。
 ひとつの音楽、あるいは演奏を作り上げるときにも同じような「仕込み」の作業がある。いや、音楽だけではないだろう。何にでもあるのだろうけれど、私がいつもギターである作品を練習しながら感じる「これは仕込みなんだな」という印象は、母の大根を洗う作業や、鮭を丹念に切り刻んでいく作業と、酷く似ているものがある。気候の変化が味わいに強く影響するから、自分の力ではどうにも出来ないのに、神にも祈るような気持ちで日々を過ごす。これも一緒だ。良い結果を得るには仕込みこそが命であると言う光景を見て、私は育ってきた。12月も終わりに近づくと、今年の漬物と鮭の飯寿司が北海道から送られてくる。今年の仕込みはうまくいっただろうか、楽しみだ。

 

藤井眞吾  

「りんごのおと No.3」2002年1月12日発行