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第91回《変容 metamorphosis 7月26日・土

   

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 おそらく、西洋の音楽でも、東洋の音楽でも(音楽学者からのお叱りを覚悟で言うなら)、いつも腐心して来た点は「音がどのように変化させられるか」ということではないかと思うのです。音楽が、戯れの類いである場合も、また快楽のひとつである場合も、はたまた宗教儀式の一部である場合も、一つの音が単純に繰り返されるだけで満足される事はありませんでした。聞き手は常に音の流れに刺激を求め、それは絶える事のない音の変化となって具現化されました。作品を作り出す音楽家達はそれを満たすべく様々な手法を探り、または編み出しました。

 東洋の人々、もしくは特に私達日本人は「一つの音に世界を見いだす」と言われますが、私達が決して音の変化に鈍感なわけではありません。連続した音の中には、かすかな変化が聞き取れ、そしてそれは時として西洋的な「変化」以上に、私達は感じているのではないかと思うのです。

 春になると青々とした芽を枝一杯につけて、やがて満開の花がそれを一層華やかに、そして秋には赤や黄、色とりどりに着飾る木々。当たり前のように眺めている月は、日々形を変え、空を漂う雲は一度として同じ形を見せないまま、いつまでも私達の頭上を流れています。音楽を形成する音が変化し、いわゆる「色(=音色)」を変えてゆく事を私達は楽しみますが、それが同時に何かの表情や、情景、または心の変化を表わしているように感じているのも事実です。

 ひとつの旋律に装飾を加える事のよろこび・・・、一度記憶した旋律が何か形を変えて現れる面白さ。あるいは、全く違った性格の旋律が対比されることによって、私達の耳に何かの意味を持って呼びかけている事を西洋の人達は意識し、知っていました。「変奏曲」という方法は、単純に見えながら、実は音楽の最も根源的な「あり方」であるように私には思えます。

 そうやって考えてみると、音楽と言うのは決して同じところにとどまらない、いかにして変化を産み出していくのかと言う(私達の人生がそうであるように)、壮絶な表現であるような気がしてきます。

 

藤井眞吾(2014/7/26)

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会場:アートステージ567

京都市中京区夷川通烏丸
西入巴町 9-2 「コロナ堂」2F
(Tel. 075-256-3759)
*地下鉄「丸太町」6番出口より徒歩1分

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