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ESSAY

藤井眞吾のエッセイ《12のエッセイ》

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12のエッセイ

 
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12のエッセイ ・・・
《オリジナル?


 最近とっても気になる発言があるのです。最近と言っても、ここ10年くらいの事だと思うのですが。
 A.セゴビアのために書かれた膨大な作品の中の、幾人かの作曲家、そしてその中のいくつかの作品の書き下ろした状態の原稿(それをオリジナルと呼んでいるらしいのですが)が続々と出版されています。最も親密だったM.M.ポンセの作品には特に、作曲者が書いたものと最終的にセゴビアが演奏したもの、出版されたものに大きな差異が発見されます。大胆に割愛された部分が見られるのは、H.V=ロボスやA.タンスマン、M.C=テデスコの作品でも同様でした。そういう事は勿論当時からもある程度知られていたはずで、セゴビア存命中もしばしば「セゴビアの演奏は原曲と違う」などと悪し様に言う人はいらっしゃいました。それは実際の演奏が自身が校訂出版した楽譜とでさえも、大きく違ったりしていたから誰にでも解る事でした。
 私は若いときに、いわゆる現代曲の新作初演を数々行ったり、また若い作曲家にギターの曲を書いてもらったりしていました。今は自分で作曲もしているわけですから「作る側と、それを演奏する側の両方の経験」をしてきたわけです。じっくり時間をかけ推敲に推敲を重ねて作品が出来上がるときもあれば、既に演奏会が決まっていてその数日前に楽譜がポンと送られて来て、なんとか演奏会に間に合わせざるを得ないということもありました。多くの場合、ギターのことを知らない、勉強していない作曲家の場合には演奏が不可能なことも沢山あったり、フレーズや表現の方法がギターには不適切なものが多くあったりと、それらを改善していく作業は並大抵の事ではありませんでした。
 少なくともその経験から言えば、セゴビアのために書かれた作品も同様のことが沢山あった筈です。セゴビアがパリで華々しいデビューを飾って以来、セゴビアに自分の作品を弾いて欲しいと作品を献呈した作曲家の数は信じられない数に上ります。それらのうちの一体何パーセントをセゴビアは気に入り、あるいは気に入った曲の何パーセントを演奏する事ができたのでしょうか?90年以上の天寿を全うしたセゴビアですが、それでも時間は十分ではありませんでした。テデスコは何度も「どうして私の曲に運指を付け、校訂をして出版してくれないのですか? あなたがそれをしてくれないと誰も私の曲を弾いてくれません。」という内容の手紙を何度も送っています。ポンセとの間には大戦の戦火のなか、何度も手紙のやり取りで作品の完成作業を共同で行っている事が記されています。出版やレコーディングの期日に間に合わせたものが、私達の知るポンセやテデスコの作品ですが、それ以降も校訂作業の続いた場合には、出版譜の方が「未完成」のものであり、「セゴビアの演奏は違う」ということに、表面的にはなるのだと思います。
orijinal 作曲者もセゴビアも天に召された今、作曲者の机の中から出て来た楽譜や、セゴビアの遺族が公開した初稿譜などには、歴史を紐解くなぞのような魅力を感じますが、それが「オリジナル」であるという考えは大きく間違っているでしょう。仮に十分信頼のおける初稿譜があって、私達がそこから新たにアプローチをしていくという事には純粋な意味がある事だとは思いますが、ただその楽譜をなぞったからと言って、それはむしろ作曲者の望むものではないという可能性があることを忘れては行けません。バッハやソルの作品をオリジナルに忠実に演奏すると言う「オリジナル」という考えと、ここで言う「オリジナル」は本質が全く違うのです。
 私は20世紀にギタリストのために作曲された作品の、作曲者自身による初稿譜が出版される事には強い興味を持っていますが、その楽譜こそが「オリジナル」であるとか、その楽譜をなぞりさえすればより正しいのだというような、茫漠とした意識しか持てない、若い演奏家はこれ以上増えて欲しくないと願っています。

藤井眞吾(2012年2月14日)