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ESSAY

藤井眞吾のエッセイ《12のエッセイ》

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12のエッセイ

 
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12のエッセイ ・・
《 アンサンブル・・》

 7月に入って立て続けにアンサンブルの指揮をする機会がありました。ひとつは講習会の中で、曲はJ.イベール。勿論私の編曲です。約一ヶ月前にパート譜を配布し、当日は午前10時から午後1時まで3時間の練習、そして最後に「本番」と称して仕上げの演奏です。もうひとつは私が教えに行っている洗足音楽大学の演奏会。こちらは5月から4回の授業、合計360分(=6時間)で3曲。いずれも考えてみれば短い練習時間でした。
 練習の時間と演奏の出来は勿論関係していますが、もっと深く関係しているのは「量」よりも「質」です。特にこういったアンサンブルの練習では個人練習と違って、指揮者と合奏団員の間で交わされたものは、すべて「質」につながり、その違いは目に見えて感じられます。
senzoku 作品の音楽的な理解や構造を言葉で説明する事も、またその演奏の仕方やアプローチを言葉で説明する事も、実はそんなに容易いことではありません。またどれだけの事を話したら良いのかという事も様々です。説明が足りなければ勿論行けませんが、喋りすぎても行けない、「頃合い」というのがあって、それを上手く突く事ができれば、あとは合奏団のメンバーが「一を知って十を知る」という風になってくれます。
 練習を通して最も楽しい瞬間は、欠点の修正に成功した時、別人が演奏しているように音楽が生き生きとしたり、音が奇麗になった瞬間がある事です。これは指揮者にはとてもよく分かる事で、このことを全ての演奏者に伝える事もまた重要です。奏者が自発的にその違いを感じる事が、成長のもとになるからです。
 日本人はともすると、なんとなく曖昧に、そして雰囲気で物事を進めるのが好きですから、音楽をやっていてもそのことは大抵悪い方に影響してしまいます。アンサンブルでも、馴れ合いでやってしまうと同じ事ですが、自分一人ではないから、互いに目を光らせながらやっていけば、そこに客観性が生まれ、独奏の場合よりも確実に成長しあえるチャンスがあると思うのです。最初にお話しした二回の演奏会はいずれもそのことが成功し、最後には立派な演奏を聴く事ができました。特にイベールの演奏では「本番」と称して演奏したあとに、まだ少し会場を使う時間があったので、「二回目の本番」を行うことにしましたが、この時演奏者達が「緊張から解き放たれ」素晴らしい集中を見せて、わずか数分のうちに見事に成長してくれたことは、感動的ですらありました。また学生達とのステージはいつもスリリングで、授業の回数は少ないけれども約3ヶ月という期間を経ているので、季節の移り変わりとともに生徒一人一人が変化し、成長して行く様がとても嬉しいのです。アンサンブルをやっていなければこんな経験をする事は無かったでしょう。

藤井眞吾(2011年7月12日)



*イベール「物語」の私達の演奏を YouTube でご覧戴くことができます