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ESSAY

藤井眞吾のエッセイ《12のエッセイ》

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12のエッセイ

 
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12のエッセイ ・・・
《 爪弾くと言うけれど・・・

 「爪弾く(つまびく)」という言葉があります。なにか楚々とした風情があって、貧乏学生が窓辺でギターを自らの慰みに弾く、などと言う光景にはぴったりの言葉ですが、いささか侘しい感じがしないでもありません。ギターを弾くには「爪」を使うわけですから、この「つまびく」という日本語はまるでギタリストのためにあるかのようです。
 クルト・ザックス(Curt Sachs, 1881-1959) という音楽学者がいらっしゃいましたが、この人が1913年に著した「楽器辞典」では「指板」の有無は弦楽器を大分する、というようなことを書いていたと記憶しています。ギターではこれを Finger Board と呼んだりしますが、厚さが数ミリしかない黒い板(=黒檀)の存在は、普段あまり意識されません。しかし17/18世紀のリュートやヴィェラ、そしてバロックギターにもこの「指板 Finger Board」はありませんでした。一体いつ頃から「指板」をもったギターが登場したかと言うと、19世紀の初頭、ジュリアーニやソルが活躍した時代の事です。
 この時代にはバロックギターを改良したと思われるギターも沢山見られますが、それらは当然「指板」を持っていませんでした。当時の楽器製作家達は徐々に「指板」を持つギターを作って行ったのだろうと思います。指板を加えることによって、ギターのネックはより強い張力の弦にも耐えられるようになり、当然、音色や音の伸び具合などにかなり影響しただろうと思われます。それと同時に、指板を持ったギターは、弦と表面板の距離が飛躍的に増えるわけですから、爪を使って弾くことも可能となったわけです。それまではその距離は「3ミリから4ミリ」しかなかったのですから、爪が表面板に当たってしまうのです。
 私が推測するのは、もしかしたら「指板」が出来たからギタリスト達が爪を使い始めたのではなく、その反対で、ギタリスト達が爪を使いたいから、そのスペースを確保するために、製作家に、ネックに板を貼り、表面板と弦の間を離す事を提案したのではないかという事です。このことは結果的に奏法の改革を押し進め、そして楽器の構造にも大きな影響をもたらしただろうと思うのです。
tsumabiku 私が19世紀のギターに求める音は、指板を持たない楽器、すなわち、より古いタイプの楽器の音です。これらのギターは間違いなく「糸巻き」も「ペグ」で、ネックとボディーの重量的バランスが「マシン・ヘッド」のものと違います。よりオーセンティックなアプローチをしようと思えば、指板の有無、そして糸巻きの構造は、非常に重要なポイントになるだろうと考えています。当然テクニックにも関わってくる問題です。そしてソルやジュリアーニが、いずれの楽器を弾いていたかという興味は、果てしなく深まるところなのです。少なくとも、ソルは「ギターを爪弾かなかった」というのは、間違いがありませんが。

藤井眞吾(2011年6月10日)