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ESSAY

藤井眞吾のエッセイ《FORESTHILL NEWS》

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藤井眞吾 エッセイ vol.14
《バラード 第4番》

 実は私の最も好きな作曲家の一人が、かのフレデリック・ショパンだと言ったら、多くの友人は「ええ?」と鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をします。何故なのか解りません。前奏曲集も練習曲集も、勿論ポロネーズやマズルカ、そしてバラード。特に第3番のソナタ・ロ短調は大好きな曲ですが、しばらく演奏を耳にする機会がありませんでした 。
 つい先日京都の祇園にある、とあるイタリアレストランで、バラードの4番を聞くことが出来ました。演奏は1990年に当時の日本人としては最年少でショパンコンクール第3位入賞を果たした、横山幸雄氏です。他にノクターンの1番、そしてバッハのゴールドベルグ変奏曲(全曲)を聞かせて下さったのですが、対照的な二人の作曲家の作品を集中して聞いて、その相違を乗り越えて、なんだか相通じる深遠な世界に浸った気分でした。
 4番のバラードはショパン晩年の作で、もしかしたら忍び寄る死期を感じて、ひたすら自己の内奥を描き尽そうとしていたのかもしれない重厚な作品です。一方バッハの気の遠くなるほど長大なこの変奏曲は、おそらく変奏技法の限りを尽し、その結果として鍵盤音楽のひとつの頂点とも言える作品となったのでしょう。ポーランドの名手はわずか39年という短い人生を疾走し、ピアノで詩を語りました。またドイツの大家は65年の歳月をかけて膨大な作品を残し、音楽の摂理を証しました。
 私はギターの演奏は数々の素晴らしい先生に教えを戴きましたが、作曲は全くの独学です。ギターの作品を通じて学んだことも沢山ありますし、それ以外の作品のスコアを読んで学んだこと、そして様々な作曲家の書き残した本から学んだことも沢山あります。しかし、もっとも深く学びうる瞬間は、自分が五線を前にして音を書き始めた瞬間に他なりません。これまでは必ず誰かのために作品を書いてきましたから「この曲は何月何日に誰がどこで演奏するんだ・・・」という強く具体的なイメージを持つことによって、音楽が生まれてきます。始めは全く渾沌とした姿。音楽というよりは、光や、色や、律動のようなもの。それを様々な角度から眺めていくうちに、音が、ひとつの可能性として見つかってきます。私の作曲の技術は決して高度なものでも、熟練のものでもありません。稚拙との誹りも甘んじて受ける覚悟ですが、私が作曲する過程で眺めた景色と、それを探る作業の精度にはいささかの不安もありません。ひとつの作品を仕上げるまでの時間はまるで牢獄にいるかのようです。私達の心の中には、決して開放すること能わざる部屋があるだろうと思うのです。私にとって作曲する作業は、その部屋に勇気をもって自らを置くことと同じなのです。
 いつの日か、ショパンのように自らの生き様を音の絵の具で描写したり、バッハのように幾許かでも自らの摂理を語ることが出来たら、まさに本懐と言うべきでしょう。横山氏の演奏するショパンのバラード、第4番はそんなことを私に思わせる演奏でした。

 

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