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ESSAY

藤井眞吾のエッセイ《FORESTHILL NEWS》

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FORESTHILL NEWS

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藤井眞吾 エッセイ vol.7
いつか何処かで

 原題が「Somewhere in Time」という1980年のアメリカ映画、邦題は「ある日何処かで」だったかもしれない。1972年、処女作上演に成功した劇作家リチャードは、上品な老婦人から「いつか帰ってきてね」と古い懐中時計を渡され、彼女は何処かへ去って行く。8年後(つまりこの映画が上映される年)、脚本家となった彼は偶然訪れたグランド・ホテルで、古い肖像画の貴夫人に魅せられるが、それが老婦人の若き日の姿。やがてリチャードの想いは募り、いつしか過去へと遡り、恋に陥る。という切ないラブストーリー。主演リチャードを演じていたのは既に1978年「スーパーマン」で一躍脚光を浴びた若き俳優クリストファー・リーブ
Superman 最初はアメリカのTV番組としてスタートした「スーパーマン」は主演俳優がそれ以外の仕事が来なくなったと自殺をしてしまい、クリストファー・リーブも当然そのことを危惧したはず。巷では彼が同様に「スーパーマン俳優」でその短い生涯を閉じたと思われているが、実はそうではない。彼はもともと正統派の舞台俳優で、1978年の「スーパーマン」以降も数々の作品に主演/出演、「日の名残(The Remains of the Day)」は1993年アカデミー賞受賞作品である。そして私が最も忘れられないのは、この「いつか何処かで Somewhere in Time」だ。希望と夢に満ちあふれた青年劇作家が、60年の時を遡り一人の女性との恋におち、悩み、苦悶し、憔悴してゆく、その演技は素晴らしかった。ラフマニノフの音楽も印象的。
 1995年、乗馬会での不慮の事故から頚髄損傷、一命はとりとめるものの、殆ど全身が不随となる。勿論、もうスーパマンを演じることは出来ないし、その生活は「スーパーマン」という世界中を興奮させた夢のキャラクターとは正反対のものとなった。しかし「車イスに乗ったスーパーマン」は以後、財団の設立、医療活動の支援、TV番組出演など、信じられないほどの努力で復活を成し遂げる。首を固定した車イスに身を委ねたリーブ氏の姿は往時を知るものにはあまりにも痛々しいものであったけれども、氏の活動は人間として絶大な威光を放っていた。ところが2004年、突然の心不全により、帰らぬ人となる。享年52歳。私と同じ歳。私はほんの2歳しか彼より若くなかったのです。
 近々劇場にスーパーマンが帰ってくるそうです・・・。でも私にとってのスーパーマンはもう二度も遠い世界に行ってしまいましたから、私は20年の時を遡り、在りし日のリーブ氏を偲ぶこととするつもりです。

 

FORESTHILL NEWS
no.62 (2006.8.24)