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ESSAY

藤井眞吾のエッセイ《FORESTHILL NEWS》

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FORESTHILL NEWS

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藤井眞吾 エッセイ vol.6
「風」という言葉

 大学生の時、当時のトロント国際ギターコンクールで優勝したシャロン・イスビンという女性のギタリスト(おそらく私より少し若い)が来日し素晴らしい演奏を聞かせた。バッハのシャコンヌは秀逸だった。終演後のパーティーで「貴女はヨーロッパの音楽を演奏するとき、特にバッハなど、自国の文化ではないという垣根の高さを感じたことはないか」と訪ねたら「お前の質問の意味がわからない」と答えた。ユダヤ系アメリカ人である彼女にとってのバッハと、日本人である私にとって、その隔たりに大きな相違はないと考えており、また自己の愛着や敬愛の念とは別に、バッハ自身とそしてその時代背景や文化的本質の違いに、乗り越えがたい隔絶を少なからず感じていたからだった。つまり彼女はそんなことは考えたこともない、と言う答えだったのだろう。どんなに頑張っても私やシャロンの弾くバッハは所詮「バッハ風」の音楽なのではないかという疑問なのだけれど、そのことについてはまたの機会に書くとしよう。
 つい先日、フルートオケストラのために「猫の組曲」という全9曲の大曲を上梓した。その中の6曲は7年前に書いたものだけれど、今回3曲を追加し、前の6曲も補筆・加筆をかなり行った。「モーツアルト風のディベルティメント」「イタリアバロック風のピッコロ小協奏曲」「ピアソラ風のタンゴ」「スペイン風の変奏曲」「アラビア風の曲」等々だ。全てはあの有名な「猫ふんじゃった」をテーマとしている。どんなにそれらしく作曲できても私はモーツァルトではないし、ピアソラでもない。またバロック期のイタリア人でもないし、スペイン人でも、アラビア人でもない。1954年という激動の時代に北海道の片田舎に生まれ、蕎麦をこよなく愛し、納豆を食し、かなり英語やスペイン語の発音に自信があるとは言え、やはり東北弁と日本語が母国語で、そしてお風呂に入ったときには必ず「アァ~」とため息をつく、正真正銘の日本人なのだから、「モーツアルト風~」であり「イタリアバロック風~」であり「ピアソラ風~」でしかないのだ。卑下しているわけではない。その隔たりこそが面白いのだと、お分かりいただけるだろうか?
 F.ソルの最晩年の傑作「作品59」、故郷カタロニアを離れ、英国、ロシア、などの演奏旅行を成功させ、またロシア王妃との恋にやぶれてパリに落ち着いてからの作品だ。原題を「Fantasie Elegiaque Op.59」と言う。私が学生の頃は専ら作品9の「魔笛の主題による変奏曲」ばかりが演奏され、この曲の存在すら知らなかったけれども、最近ではしばしば好演にもめぐりあう。私自身も何度か演奏した。名曲。しかしいつの頃からだろうか・・・、いや、おそらく間違いなくこの曲の日本版が初めて某出版社から出たときに「悲歌風幻想曲」とされていたために、誰もがこの名作をその様な日本語で呼ぶ。だけれどもこれは誤訳でしょう?
 ショパンのポロネーズ(Op.53-6)を誰も「英雄風ポロネーズ」とは呼ばないでしょう?
 日本語の「風(ふう)」というのは「形。ふり。見掛けの姿。」の意であり「風がいい」「知らない風を装う」など、または「一見紳士風の」などと使い、決して「本物ではない」と言う意味合いが濃厚な場合に用いる。「ならわし」「様式」などを意味し「都会の風をまねる」などとも言うけれど、それはやはり都会の人には言わない。
 ならば「悲歌風幻想曲」とはどういう意味か・・・。「悲しんだふりをした幻想曲」? 「一見悲歌風の幻想曲」と言うことになる。ソルがベスレイ夫人の死を悼み作曲されたこの作品は自由な序奏部から重く悲痛な葬送行進曲へと移る。それはショパンの葬送行進曲にも劣らない傑作。曲の末尾「Adieu Charlotte!(さらばシャルロッテよ!)」の書き込みが楽譜の中にある。この絞りだすような惜別の言葉は、「悲歌風幻想曲」と訳すのなら、騙りとなるではないか。
 ヨン様がチゲ鍋を作ったらそれは「韓国風料理」ではなく「正真正銘の韓国料理」。大阪の御堂筋でやるパレードは「ブラジル・サンバ風」、だけどそこでオッサンが焼いているの正真正銘の「大阪お好み焼き」。博多で食べる豚骨ラーメンは正真正銘、でもその隣りにある「道産子ラーメン」はただの北海道風ラーメン。北海道の本当のラーメンはもっとシンプルで美味しい。北海道の人間は殆ど道産子ラーメンを食べたことがない。
 タレガの「Capricho Arabe」は最近やっと「アラビア風綺想曲」とは言わずに「アラビア綺想曲」と正しい言語になってきたではありませんか! ならばソルにもそろそろその時が来てもいいのでは。百歩譲って「悲歌的幻想曲」、それが嫌なら「幻想曲《悲歌》」、これでどうだい!

 

FORESTHILL NEWS
no.61 (2006.6.18)