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ESSAY

藤井眞吾のエッセイ《FORESTHILL NEWS》

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FORESTHILL NEWS

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藤井眞吾 エッセイ vol.4
神になった人間

 私の名前はアルファベットの頭文字で言うと「S.F.」となりますが、そのせいではないのでしょうが、子どもの頃から「SF映画(科学空想物語)」や「科学ドキュメンタリー」なんて言うのが好きでした。「鉄腕アトム」に「鉄人28号」、「スーパーマン」や「ウルトラマン」に興奮した世代なのです。つい最近まで深夜に放送していた「スタートレック」も勿論欠かさずビデオに入れて見ていました。確かこのシリーズのひとつのお話しだったと思うのですが、何かの治療か実験で、人間の体内の蛋白質の生成を増進させ、脳神経の反応速度を高めることに成功したら、乗組員の一人であった被験者が途端に頭が良くなったというのがありました。記憶力や理解力は勿論のこと、本を読む速度が加速的に速くなり、ありとあらゆる本をあっという間に読み尽し、知識も智恵も吸収してあらゆる人間の叡知を我がものにすると、その人はしまいに「神」になったという物語です。
 この内容に痛く感動した私は翌日から「雪印牛乳」を浴びる様に飲み、「生卵」を飲んで高純度の蛋白質摂取に励み、本棚にある本を片っ端から速読しようとしたのですが、生まれつき読書の嫌いな私には格好の催眠剤となるだけで、さらには一日目にしてひどい下痢に襲われ「所詮作り話か・・・」と、落胆したことがありました。馬鹿さ加減も相当なものです。
 しかし読書が人並み以上に早いということは、やはり勉強をするうえには重要な能力なのだろうし、我々音楽家でいうなら楽譜を読む速度や正確さは勿論重要なことなのです。そしてそれを瞬時に記憶できたらこんな有り難いことはありません。まさに「神業」であります。
 大学生の頃、西宮にお住まいの岡本先生の御自宅へギターを教わりに通っていました。京都から阪急電車で45分、「十三(じゅうそう)」というところまでいって神戸線に乗り換えます。この間にギターのケースを足下に置きながら、今練習している曲を「頭の中で演奏」します。脳みそは空っぽになった感じで、頭の中にはギターの音が飛び交って、まるでコンサートホールのようになります。そして同時にまぶたの裏側には楽譜がハッキリとした映像で浮かんできます。左手の指は指板の上に置かれているかのように、そして右手の指は六本の弦をはじいているかのように、かすかに動いています。時々頭の中でなっている音が止まったり、濁ったり、そして見えていた楽譜の一部が「虫食い」のように見えなくなるところがあります。そこでは勿論、今まで演奏していた指も止まってしまいます。「暗譜(記憶)」が完全ではないヶ所があるからです。しっかりと勉強できている曲は頭の中の演奏も滑らかで、楽譜もビデオレコーダを見るように鮮明に思いだされ、指もきちんと動いています。面白いもので、頭の中の演奏も、実際の演奏も、良く練習されているものほど「演奏時間」はぴったりと同じなのです。上手く弾けないものは時間がかかってしまいます。バッハのシャコンヌという曲は私は約13分かかるのですが、京都から阪急電車に乗って「十三」に着くまで、この曲が丁度「三回」演奏できるわけです。途中で車掌が「乗車券を拝見」などと来ると、また最初からやり直すので、「二回」しか演奏できないこともあります。何故かこういう練習は家にいるときは出来ません。電車の中が最高です。そして私にはこの練習が物凄く大事なのです。
kyusyu やがて「とても手の内に入った曲」は、頭の中の演奏が、実際の演奏より速くすることができます。それは演奏が速くなるのではなくて「即座に思いだせるようになる」とか、あるいはビデオの「高速再生」と言ったほうが良いかもしれません。この状態は丁度先の「スタートレック」に出てきた神になった人間に似ている、と今は思うのです。
 どんな演奏会でもステージの袖に立つ時までに、こんな境地に至りたいと日々の練習を重ねています。

 

FORESTHILL NEWS
no.58 (2006.3.14)