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ESSAY

藤井眞吾のエッセイ《FORESTHILL NEWS》

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FORESTHILL NEWS

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藤井眞吾 エッセイ vol.3
猫好き

 吾輩の妻は猫好きである。名前は、・・・もう有る。
 誰が捨てたのかはとんと見当がつかぬ。何でも近所のコンビニの前でニャアニャアと鳴いていたそうだ。吾輩はここで始めて「眞っ赤な嘘」と言うものを聞いた。「私が車の扉を開けたら、さっさと乗り込んできたの・・・」などと妻は宣(のたま)う。そんな訳はないだろが! 猫は車に乗り込まんだろ! 否、愛する我妻がそうお喋るのだから、百歩譲って信じましょう。娘達の黄色い歓声と、可愛らしいニャアニャアと言う泣き声が交錯して、目を覚まされると既にキャットフードを抱えた妻が「困ったわ」という表情を作りながらも、その後ろ姿はまるで修学旅行と遠足が一緒にやって来た小学生のように、うきうきとして見えた。
 高校二年になる娘が産まれる前の年、春の爽やかな日差しとともに我が家に一匹の猫が舞い込んできた。朝の食卓を二人で囲んでいると、戸口で「ニャ~」と鳴く。当時、子宝に恵まれなかった我が家へ「神のお恵み」などと束の間血迷ったのが運の尽き。タマと名付けたこの雌猫は直(じき)に四匹を、秋口には更に四匹の小猫を産み、我が家は然(さ)ながら「猫屋敷」と化した。流石に二度目の出産で辟易した吾輩は小鼠ほどの大きさの小猫の引き取り手を探し、お向かいさんにももう一匹、「大人しいよ」と騙して気性の荒い奴を譲り、やがて親子四匹との共同生活を選んだ。
 するとその翌年、長女が生まれた。
 吾が娘は将に珠(たま)のように可愛かった。小猫よりももっと可愛かった。だから娘を寵愛し、慈しみ、育てた。すると一歳になっていた小猫が嫉妬した。激しくジェラシーの炎を燃え上がらせ、しまいにはノイローゼになった。甚だしく胃腸の調子も悪くなり、下痢をした。ポンと飛び降りただけで、プリっとウンコが漏れた。獣医が「もっと可愛がってあげなければいけません」と診断を下してから、悪夢が待っていた。吾輩の膝にバスタオルを敷いて「おお、シロよ、シロよ」と抱いてあげると、ウンコをちびったシロはうっとりとした安堵の表情を浮かべ、やがて体調もよくなり、ウンコも漏らさなくなった。そのシロも二年前に膵臓を患い14年の天寿を全うした。猫は死に際人目を憚(はばか)る、とは一体誰が言ったことか。シロも、そしてその前年のギンも、我が家のお仕入れで産まれた二人は、吾家でそして吾家族の目の前で最後の息をか細く引き取った。猫嫌いの吾輩も号泣した。そして「もう二度と猫は飼わないゾ!」と固く心に誓った。
 そして現在、妻の車に乗り込んできたという猫が吾が天下の様子で家中を走り回っている。しかも、二匹! その日のうちに名前は決まっていた。夕方、台所に立つ細君が猫の食事の缶詰めをカンカンと叩きながら「ご飯よ~」と呼ぶ声は、猫に対する優しい愛情に満ちあふれている、・・・ように聞こえる。案の定、二匹の猫は細君の元へ疾走する。しばらくするとまた細君が「ご飯よ~」と呼ぶ。吾輩を夕食に呼んでいるのである。その声色に、さっきとあまり違いはない。・・・そうか、・・・吾輩は猫である。

 

FORESTHILL NEWS
no.57 (2006.1.14)