2005年7月22日

藤井眞吾様

ちょっと、面白そうなテーマだったので、レポートを一休みして、久々に藤井さんにギター談義を挑んでみたいと思います。

> なるのでしょうけれど・・・。決して君の感想を否定しようなどと思っているので
> はありません。まあ、こういう議論には「頑丈」だった君の事なので、あえて
> 僕の経験を書いてみました。

はい、だいじょうぶです。この辺の議論は仙台時代に鍛えられましたから(笑)。

それから、藤井さんの仰りたい事もなんとなくわかります。シュタイドルのステージパフォーマンスは一歩間違えばかなりアクの強いものになってしまうことは否めないと思います。特に演奏の調子が悪かったりすると、あのパフォーマンスは空回りになるかもしれませんね。

それに、適度な緊張感が伴わないと、単にはしゃぎすぎる演奏になってしまうかもしれません。そういう意味では、今回僕が見たLigitaでの彼のコンサートは、良い意味で緊張感がありました。それは、シュタイドルのみでなく他の演奏者にも見られたことでした。これだけの世界でもトップレベルのギタリストが一堂に会して、毎晩コンサートを行なうわけですから、嫌でも比較されることになるわけですし、そうなればライバル意識も多少出てくるかもしれません。ひょっとすると、各演奏者から僕が感じた一種殺気にも似た緊張感はそんな所から出てきているかもしれません。

僕自身はシュタイドルは強い個性をもった演奏家として好きです。あの顔のパフォーマンスにしても、自分が感じる音を身体全てを使って表したいと言う欲求だと思います。これはダンスなどと共通する考え方ではないでしょうか。例えば今回見たフラメンコのMoroや以前お話したインドのダンスなどでは、その表現するものによって顔の表情を変化させていました。シュタイドル自身がオペラを好むことと考え合わせるとなんとなく納得が行きます。ひょっとすると、彼はコンサートを音楽のみでなく体全体を使ったパフォーマンスと捉えているのかもしれません。一つのギターコンサートのあり方として面白い方法だと思います。ただ、それを楽しむかどうかは、人それぞれですね(藤井さんの仰るように音楽への集中が殺がれる可能性は理解できます)。

むしろ、危惧するのは、一度、インパクトがあるものが現れると、すぐ右へ習えのブームになってしまうことです。藤井さんが言ってられたように「これを聞かねば!」という雰囲気が出来上がっていたのいうのはちょっと心配です(日本人は「通好み」という言葉に弱いですしね)。その意味では、藤井さんがどの様に考えられているかを聞かせていただいたのは興味深いことでした。

僕自身は、最初にシュタイドルの演奏を、生の演奏会でなく、CD(Naxosから出ているレニヤーニ集)から予備知識無く聴けたのはある意味で幸運だったかもしれません。CDでの彼は比較的オーソドックスに弾いていますし、あのパフォーマンスに惑わされること無く聴くことが出来ましたから。

これは、今回のレポートの終わりに書こうと思っていたのですが、今回5人の世界トップレベルの演奏を聴いて感動的だったのは、それぞれが個性的であったという当たり前の結論です。各々が自分の追及する音楽を求めていった所、たどり着いた(彼らにとってはまだ通過点かもしれませんが)結果が、その個性的な演奏に現れて、それぞれが素晴らしかったです。

思うに、ちょっと極端な喩えですが、20年前は多くがセゴビアになりたがり、今の若い人はディヴィッド・ラッセルに成りたがっているような気がします(全てとは言いません)。各々のアイドルを持つのは悪いことではありませんが、これらを手本とするうちに考え方が硬直するのは怖いことだと思います。これらの素晴らしいギタリスト達は自分の音楽を追及する上でそれぞれのスタイルを築いてきたわけですが、その根底に何があるかを考えなしに模倣すると一種の信仰のようになってきます(例えば、20年前だと「メロディーは全てアポヤンドで弾くべし」とか、今では逆にカルレバーロ奏法の絶対重視とか)。

このことについては今回盛んにアルバロ・ピエッリが繰り返していた次の言葉が印象に残っています。

"Don't obsess with one idea (一つの考え方に固執するな)
" "Need to think why (何故かをよく考える)”
"Start from elemental part and analyze well (基本的なところから初めて、しっかり分析する)”

同様の事は、講師の皆が言っていましたし、藤井さんが20年前に言っていた事と変わりません。しかし、これは実践するのは難しいです。今回のマスタークラスの受講生を見回しても、これらを実践しようとしている人は少数でした。結局、コンクールに入賞した人たちも、これらの言葉をかみ締め、少なくとも実践し様と努力した人が残っていったような気がします。

> でもどうでしょうか、決してプロの人、あるいはプロを目指す人達
> ばかりが参加しているわけではないのではないでしょうか? 勿論
> レッスンなどではそれ相応のレベルが要求されますし、オーディション
> が行なわれたり、マスタークラスなどではそういった資格を求められる
> 場合もありますが、アマチュアの人達の積極さは僕たち日本人が学ぶべき
> ところがあると、感じられるのではないでしょうか?

そうですね。今回も随分積極的なアマチュアの人たちが数名居ました。彼らも昔ギターをやっていて10数年ぶりに再開したという、僕と同じような経歴のギターオタクの人たちです。彼らが中々上手くて、下手にプロを目指す子達より自由に弾いているという事と、フェスティバルの雰囲気を余裕をもって楽しんでいると言う事がとても印象的でした。

> それからシュタイドルも福田君も、19世紀ギターと、いわゆるモダン・ギター
> を併用したことになるのですが、このことについてはまたいつか日を改めて、
> 議論をしたいと思います。

そうですね、これも面白そうなテーマですね。今回はちょっと書きすぎてしまいましたので、再度どこかで。次回は、マスタークラスの模様について書いて見ます。

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